過去の連載記事
同じ年の連載記事
- 尾道から瀬戸田までのフェリー -  自転車を積んで950円。約40分の船旅。景色もいい。
第136回 しまなみ海道自転車旅 その2
 
 
 夏に、大三島まで行って引き返したしまなみ海道を正月休みの終わりに尾道まで走ってみた。自転車乗りの友人は、大三島から先は道に変化が少ないと言っていたが、そんなことはなかった。のんびり走ると、島々や集落の風景、橋の風景がとても素晴らしかった。

 (それぞれの写真をクリックすると大きくなります)
糸山から

- 海南寺の本堂 -

 出発は糸山のサイクリングセンター、午前10時過ぎである。少し風は吹いているが、天気はいい。来島海峡大橋を渡り、大島の宮窪に向かう国道の登りにさしかかったあたり汗が額ににじんできた。後ろから、軽快なロードレーサーに乗った親娘連れが、あっという間に通り過ぎていく。坂を登り切って海に下る直前の左手に由緒を感じさせる寺の山門が見えた。お参りしていくことにする。真言宗御室派別格本山の海南寺というお寺であった。本堂の建物もそれほど古い時代のものとは思えないが落ち着いた風格がある。古い昔に、海南寺の住職が灘五郷と関係があって、それで大島杜氏が生まれといわれ、大島杜氏の信仰を集めているそうだ。

生口島

- 多々羅大橋 -


- 光明坊の十三重石塔 -
鎌倉期に忍性が建てた。

- 生口橋 -
 海南寺を出て、海沿いに走る。右手に能島を見ながらしばらく行くと伯方・大島大橋。伯方島の高校に勤める友人に電話を掛けようかと思ったが休みの土曜日なので通り過ぎる。大三島橋を渡って、多々羅大橋のたもとにある道の駅に向かう。橋を降りて15分ほどで着いた。ここでパンとソフトクリームを食べて昼のかわりにする。
道の駅のそばから多々羅大橋に上る。多々羅大橋は平成11(1999)年に完成した世界最長の斜張橋である。橋長1480メートル。中央支間長890m。塔頂の高さは海面より226mあり、このルートの中で最も高い。多々羅大橋に使われた鋼材は全部で37,000トン、東京タワー(約4,000トン)の9基分になるという。海面を見下ろし、高さを実感する。歩いて橋を渡る団体の人たちの脇をゆっくり漕いで行く。世界最長の橋とはいえ、10分もかからない。
 この橋を渡ると広島県の生口島だ。島の東側の海岸を走る国道317号線を因島大橋に向かって走る。途中、左に300メートルほど道を入って光明坊に寄る。天平2年(730年)聖武天皇の勅願で、行基上人が開基建立したと伝えられる古刹である。 境内にある十三重石塔は、鎌倉時代に奈良西大寺中興の祖、真言律宗の興正菩薩叡尊の弟子の忍性が建立したものという。軒の力感のある反り出しや、初層四面の仏を象徴する種字(しゅじ)が薬研彫というV字に彫り込む彫り方が鎌倉期の特徴をよくあらわしていて、国指定の重要文化財となっている。宇治の宇治川の浮島には叡尊の建てた日本最大最古、高さ15メートルの十三重の石塔がある。そして、叡尊と忍性が深く関わった奈良の般若寺にも同時代の十三重石塔がある。忍性が建てた光明坊の石塔は師の叡尊が建てたものの半分くらいの高さであるが、姿の美しさと風格は変らない。忍性は余りに社会事業に没頭したため、師の叡尊に慈悲が過ぎて学問が疎かになると苦言を呈されたという挿話が伝えられる人であった。奈良の般若寺から般若寺坂を下った柳生街道との分岐のあたりに北山十八間戸という鎌倉時代の救ライ施設が現存しているが、これも忍性の建てたものである。境内には、樹齢約650年といわれるイブキビャクシンがある。忍性が亡くなったのは、嘉元元(1303)年、石塔はこの古木が生え育つ50年以上前に建てられていたのである。
 もとの道に戻りしばらく走ると因島洲江町という所に、岩城島に渡るフェリー乗り場があった。確かに生口島だが、このあたりは因島になるようだ。ちょうどフェリーが着岸している。1日25便、30分毎に運航しているというので、ちょっと岩城島に渡りたくなった。しかし、今日は、思いとどまる。若山牧水がかつて遊んだ岩城島。松山藩の島本陣を勤めたという三浦家を見たいと思ったのである。後日を期すことにする。  少し先の赤崎というところで、生口橋に上がる。平成3年(1991年)開通、橋長790mの斜張橋。今日は天気が良いせいか歩いて渡る人が多い。ゆっくりと声を掛けながら走る。

因島から向島、尾道

- 因島白滝山とキャベツ畑 -


- 尾道大橋から新尾道大橋を見る -
 因島に渡り、道標に沿って因島大橋を目指す。除虫菊の栽培地やキャベツ畑の中を走る道を緩やかな登り、白滝山という標高200メートルほどの山をまわるようにして海に下り右に大きく回って登ると因島大橋への進入路があった。 因島大橋は、昭和58年(1983年)開通、橋長1270mの吊橋である。上下二段になっていて、原付・自転車・歩行者は下部を通行し、上部が自動車専用道路になっている。上下、左右が囲まれているため、展望は利かない。まっすぐ渡って、向島に下る。向島因島瀬戸田大規模自転車道という標識にしたがって因島大橋の東側から西側にまわる。少し走って、防波堤の下の砂浜で釣りをしている親子がいる。布刈瀬戸と因島大橋の写真を撮って小さなアップダウンをする道を進む。
 道が平坦になり、岩子島と向島の間に掛かる赤い向島大橋の下をくぐって右手に行くと市街地に入る。尾道が近づいてくる。自転車は渡船を使うようにという標識があったので、東京の友人に電話を掛けてみた。「あのねえ、渡しはだめよ。ちゃんと尾道大橋を渡って2号線に出ないと、しまなみを完走したことにならないからね」というお達しである。少し、不安を感じたが、尾道大橋に向かって上がる。橋の料金所に着くと、料金所のおじさんが自転車の料金箱を指さして、「そこに入れて」とあっさり言う。車が多く、ちょっとストレスを感じたが、いよいよ尾道であるという昂揚した気分で渡り切った。走行メーターを見ると80キロを超えている。公称74キロだが、多少の寄り道はした。平均時速約20キロ。約4時間の走行だった。


- 向島の自転車道路から布刈瀬戸と因島大橋 -


- 浄土寺の鎌倉末期に建てられた多宝塔(国宝)と南北朝時代に建てられた阿弥陀堂(重文) -


尾道で

- お好み焼 -
イカ天・ソバ入り。
 橋を渡ってすぐに浄土寺に参拝した。小津安二郎の名作「東京物語」の舞台となったことでも知られるが、海を間近に見るこの寺の堂塔の美しさは比類が無い。寺を出て、少し空腹を感じたので、尾道ラーメンを食べようかと、朱華園へ、正月休み。では「つたふじ」へ。すごい行列で素通りし、久保町の「一楽」へ。これは昼の中休み。道を引き返し、味わいの深い古い市役所の建物の真裏にあった小さなお好み焼屋に入った。店のおばさんが、すすめるイカ天そば入りというのを食べていたら、常連のお客がさんが一人、入ってきてテレビを見ながらビールを飲み始めた。居酒屋にもなるらしい。煮物の付け出しがすぐに出てきた。お好み焼きはキャベツがたくさんのせいか、あっさりした味で、食後に干し柿とお茶を出してくれた。
 4時半過ぎに、駅の先のビジネスホテルにチェックインして、シャワーを浴び小憩したのち、夜は久保町の「一楽」で中華ソバと餃子。この店の細くて腰がある麺とあっさりしたスープが好きだ。翌日の弁当用にちまきを二つ買う。帰りにホテルの近くのブラッセリ・エスポワールという店でコーヒーとケーキ。食事もおいしそうだった。

帰りは瀬戸田から

- 瀬戸田 -
中ほどの山に向上寺の三重塔が見える。
 翌日の帰りは、尾道から瀬戸田で船に乗ることにした。ホテルの近くの船着場から乗船。瀬戸田までは約四十分。自転車を積んでもらって片道950円である。楽でもあるが景色が良い。後部のデッキに立って遠ざかる尾道を眺めていると、そのうちに島々や因島大橋など昨日渡ってきた橋が見え始める。因島の造船所が見え、沖に碇泊している大きな船の脇を通り過ぎる。瀬戸田水道に入り高根大橋の下をくぐり、左手に向上寺の三重塔が見えてくると瀬戸田港である。船を降り、耕三寺に向かう。参道の町並みがすばらしい。ここはあらためてゆっくりと歩きたい町だ。自転車を置いて、耕三寺を拝観。一番上のイタリアのカラーラから持ってきたという巨大な白い大理石でつくった展望台から港と町並みを見た後、ちまきを頬張って帰路につく。 島の東側を走り、レモン谷の先から多々羅大橋に上がり、一路、今治を目指す。正面から逆風が吹いている。それでも来島海峡を渡って糸山には午後2時に帰り着くことができた。船に乗るとずいぶん時間が短縮出来る。しまなみ海道の旅は、フェリーと組み合わせることで、いろいろな島に立ち寄れるし、時間のデザインも自由度が増すことに気がついたのは収穫だった。 次は岩城島。桜が美しい島だという。今治から船も通っているようだ。


- 瀬戸田の町並み -


- 西日光と呼ばれる耕三寺境内 -
彩色された様々な様式の堂塔が復元されている。

 
Copyright (C) TAKASHI NINOMIYA. All Rights Reserved.
1996-2012