第74回 八幡浜マウンテンバイク創世記
この秋9月末に八幡浜で日本自転車競技連盟公認の大きなマウンテンバイク(以下MTB)の大会が開かれる。八幡浜MTB倶楽部の四人の仲間が手作業で八幡浜市若山の市民スポーツパークの森に本格的なコースをつくったのがすべての始まりだった。
八幡浜MTB倶楽部
7月の中旬、月刊雑誌『サイクルスポーツ』の編集長をしている宮内忍君という東京の友人が突然、八幡浜にやって来た。MTBの全国大会を共催する八幡浜市役所の担当者内堀さんの熱心で行き届いた取材依頼に応じ、市民スポーツパークにある日本でも有数のMTBコースを取材に来たのである。
市民スポーツパークにMTBのコースがあることも、八幡浜にMTBの倶楽部があることも、そしてそのコースが全国大会を開催するほど本格的なものだということも私には初耳だった。
取材の前夜、宮内君とレポーターの石渡さんと一緒に、八幡浜湾に面した「おさかな牧場」で八幡浜MTB倶楽部の佐藤さん、吉野さん、井上さん、酒井さん、そして八幡浜市役所の内堀さんらと会った。初対面なのにコースづくりのこと、秋の大会のこと、各地で開催された大会の感想などへと次々と話が広がっていく。宮内君はお母さんの故郷、栃木県宇都宮訛のかかった東京言葉、相手は、みんな飾り気のない八幡浜言葉である。MTB「門前の小僧」の私にはわからない内容が多かったが、そばで聞いていて、いちばんびっくりしたのは、一周6.2キロの距離があるMTBのコースを八幡浜MTB倶楽部のわずか4人の人たちが誰の助けも受けずに、クワやスコップをふるって人力で完成させたということだった。
彼らはただひたすらに体力を費やしただけではない。道つくりの工具や草刈り機などの費用は四人の倶楽部員の自弁である。樹齢100年を超すクヌギを迂回するなど、自然の地形や植生にあったコースの設定からはじまって、行政や地元地権者の人たちの説得と了解の取り付けまで、すべてを4人の仲間が協力してやりとげた。コース完成後は、ホームページを立ち上げて自分たちが作ったコースをPRし、何度か小さなMTBの大会を繰り返しながら参加者の意見を聞きながら改良を加えていった。謙虚な人たちで「みなさんのおかげです」とばかり繰り返しているが、そういった地道な実績の積み重ねが、地元の人たちや市の協力を生み出したのに違いない。そして、今秋9月の日本自転車競技連盟公認の大会開催が実現した。「MTBは八幡浜じゃあまだまだですが、オリンピック正式種目なんですよ」。
熱がのこもった話を聞いているうちに時間がアッという間に過ぎた。八幡浜MTB倶楽部の人たちも市役所の内堀さんも、実に真面目で、熱心で、気持のよい人たちだった。翌朝9時に市民スポーツパークでの再開を約して宮内君と石渡さんと一緒に駅前のビジネスホテルに帰った。
市民スポーツパークで
当日は、折悪しく台風が南伊予に近づいていた。しかし、八幡浜MTB倶楽部のホームページ掲示板に「サイスポ」の取材が来ることが知らせてあったので、県内や隣県の香川、高知などから約30人のMTBライダーたちが集まってくれた。
天候が怪しいので、八幡浜MTB倶楽部の吉野寛司さんの先導で、宮内君とレポーターの石渡さんは、急いでコースを周回しながら撮影に入った。私は代表の佐藤さんたちの案内で初級コースへ。公園の管理棟の先から林に入り、市の環境センター(ゴミ処理施設)の脇の原っぱを抜け展望のよい小道に出て、再び林の中をアップダウンしながら公園の管理棟に戻るコース。久しぶりのMTBで初めは少しおっかなびっくりでスタートした。上り坂では息が上がり、転倒。久しぶりに乗ったMTBの調子も今一つ。佐藤さん達に先に行ってもらい、ゆっくりと押して上がることにした。後から来た若いライダーたちが、次々と心配そうに「大丈夫ですか」と声をかけてくれる。MTBライダーはなぜかやさしい人が多い。思わずしんみりとする。
八幡浜の遺伝子
ゆっくりと管理棟に辿り着いた頃には天候も回復していた。宮内君は代表の佐藤さんと話しこんでいる。石渡さんは吉野さんと走ったコースについて地図の確認。内堀さんは集まったライダー達から市民スポーツパークの施設やコースについての感想をメモを取りながら丹念に聴き取りしている。
宮内君と石渡さんは、口を揃えてこのコースの本格性をほめた。極めて変化に富んでいて難しいところもある。テクニックの差が出るし、ライダーの地力が試されるコースだという。900メートルも続く長い坂もあるそうだ。もちろん力量に応じて楽しめるいろいろな走り方が可能なコースでもある。「お世辞じゃないですか」と余計な念を押す私に世界の名だたるコースを走ってレポートしている石渡さんがまじめな顔をして「このコースをつくることはそんなに簡単なことじゃないですよ。これを4人でやったって言うのはほんとにすごいことですよ」と言いきった。横から宮内君が、「いちばん特筆すべきことはね、MTBのコースは、日本全国にいろいろあるけどね、こんなに町が近くて、アクセスのよいコースはないんだよ」と付け加えた。
わずか4人の人たちが、徒手空拳、まだMTB人口の少ない八幡浜でこんなに立派なコースをつくった。私は、人がまだ空を飛べない時代に世界に先駆けて飛行機を試作した二宮忠八や戦前、打瀬船で太平洋を渡って米国で財をなしたというこの地の先人達の自由闊達な想像力と実行力を思い浮かべた。これが八幡浜の誇るべき遺伝子ではないか。
佐藤さんは「夢はオリンピック予選の誘致」と笑う。本気である。何もないところから始めた新しい動きを地元の人たちや行政が支えている。MTBが八幡浜の町に新しい個性と活力を生み出す力となれば素晴らしいと思う。
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