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第23回 砥部やきもの紀行
 
 
 砥部は大洲藩の時代から、約200年以上の歴史を持つやきものの町である。現在も、障子山の麓の起伏の多い町に、窯元が80近くもある。
 友人と連れだって、砥部町五本松に砥部焼の窯元「きよし窯」を訪ねてみた。茶器の名工として知られる山田紀慶さんが昭和33年6月に築いた窯である。

 やきものの町を歩く
 大きな窯元直売所が櫛比(しっぴ)する国道から砥部の古い町に入ると、砥部焼伝統産業館の大きく新しい瓦屋根が見えてくる。鬼瓦のあるべき場所に白磁の大壺がのっているから砥部焼の施設であることは一目瞭然だ。広い館内には砥部の古墳時代以来のやきものの歴史、現代の窯元の全貌などがわかりやすく展示されている。伝統産業館を出て、前の通りを右に少し歩くと突き当たりに、一見ロマネスク風、木造建築の武道館がある。その前庭の小さな梅の木の脇に正岡子規の歌碑があった。明治33年、病身の子規が東京根岸の子規庵で砥部焼に活けた梅と椿を詠んだ歌である。「砥部焼の乳(ちち)のいろなす花瓶に梅と椿とともに活けたり」。歌碑の後ろには砥部で生まれた俳優井上正夫の銅像がある。井上は、「明治30年伊井蓉峰一座に加入、特異な芸風を認められ、昭和11年井上演劇場開設。新派劇、新劇、映画各方面に活躍」と広辞苑にある名優で、少年時代には砥部の陶器問屋に奉公していたそうだ。
 武道館の前から、左に陶板がしかれた道がある。少し先の坂にさしかかったところには陶片でつくったモザイク画の陶壁もあり、砥部の町を一望できる「陶祖ヶ丘」に通じているが、私たちは道を右に取って五本松の方に向かった。
 きよし窯
 「きよし窯」は、砥部町陶芸創作館を過ぎて、5、6分歩いたところにある。明るく、モダンな工房の他に、道路を挟んだ自宅の隣に山田紀慶さんの仕事場がある。
 仕事場でロクロをひいている紀慶さんに話を聞いた。「きよし窯」は、砥部焼作家の主流といわれる人たちが花器を中心に大作をめざすのに対して、築窯以来、茶器を中心に日用の食器など小物づくりを一貫して追及してきたことで知られる。
 「砥部は、ロクロの技では、質でも量でも全国でいちばんじゃと思います。その技術を土台にして新しい時代や生活にあったやきものをつくる力が窯の力であって、伝統というものじゃないですか。ひとつのものをずっと作り続けていくのは伝承の世界で、それだけでは、窯として生き続けることは難しいでしょう」という紀慶さん。
 現在、紀慶さんとともにきよし窯をささえる息子の公夫さんは、一旦、砥部を離れて佐賀県立有田工業高校窯業科に進み、九州造形短大デザイン科でクラフト窯芸を学んだ後、佐賀県立窯業試験場蹴ロクロ研修科を修了した。公夫さんは国の伝統工芸士、奥さんのひろみさんも、えひめ伝統工芸士に認定されている。
 工房の2階のギャラリーで、きよし窯の新作を見せてもらった。新しいやきもののデザインと絵付けは、ひろみさんが中心になってやっている。清楚な白磁に美しいマリンブルーが映えるビールジョッキ、肌色や黄色などの色を織物のように紡いだ新鮮であたたかいデザインのものもあった。紀慶さんの茶碗や水指も健在だ。信楽の土で焼いたもの、磁器を陶器のように仕立てて焼いたものなど、どれもかわらず素朴で、おおらかな味わいがある。棚に置かれたコーヒーカップや皿、茶碗などの食器類は、驚くほど色や形が豊富だった。きよし窯は、紀慶さんが伝えるたしかな砥部の技術に、日本伝統工芸展などに入選を繰り返す公夫さん夫婦の新しい感性が加わり、窯の個性が深く豊かな奥行きを持っている。これが紀慶さんの言う伝統の力であろう。
 私は紀慶さんの陶器の茶碗と、新しいデザインの花の模様が付いたくらわんか茶碗、招き猫などをもとめた。友人は白磁の皿とひろみさんがデザインしたビールジョッキを買った。
 古陶資料館
 きよし窯の先を左に曲がって坂道を上る。現在、砥部でいちばん大きな窯である梅山窯の古陶資料館を見に行くのである。途中、砥部焼の壺や陶板の案内板を見ながらくねくねと曲がった住宅地の中の道を上り、20分ほど歩いて梅野製陶所についた。
 売店の先の茅葺き屋根の民家の先に古陶資料館がある。右手の蔵造りのギャラリーには陶芸指導に訪れた鈴木繁男、藤本能道、河井寛次郎、浜田庄司、富本憲吉ら著名な陶芸家の作品が陳列されている。砥部を訪れた民芸運動の主唱者柳宗悦の書もある。指導に訪れた陶芸家が砥部で制作した作品も面白いが、青森県出身で梅野窯の陶工、工藤省治の素晴らしい作品などを見ると、砥部焼の火器、茶碗や皿などのよく知られた模様がどうやって生み出されてきたのかがわかって興味深い。隣の建物も見逃せない。北川毛で焼かれた唐津焼に似た初期の砥部焼をはじめ、砥部の時代を画した各時代の優品も陳列されていて見応えがある。思わず、時間を過ごすうちに少し雲行きが怪しくなってきたので、工場の裏の古い登り窯を見た後、急いで坂道を下った。

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1996-2012


陶祖ケ丘にある砥部焼のモニュメント
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砥部のシンボル障子山

武道館と井上正夫像

子規の歌碑

削りの作業をする橘美智子さん。橘さんは、昨年、パスタセットで愛媛陶芸賞を受けた。

砥部焼の招き猫

工房2階でくらわんか茶碗の絵付けをする森貞さん。この茶碗は2回素焼きされる。奥はビールジョッキの絵付けをする斉藤さん。

雛人形に絵付けをする山田ひろみさん。この雛人形は顔の表情が実にいい。身近に置いて楽しめるのもよい。砥部焼のお雛様はきよし窯にしかない。

ロクロをひく公夫さん。

坏土をつくる紀慶さん。

ガス釜への窯入れをする岩市さん。本焼きである。

きよし窯はやきものが生かされた空間だ。

山田紀慶さん。昭和6年2月11日生まれ。紀慶さんがひいた轆轤のやきものは、どこか、さわやかですがすがしい。紀慶さんの茶碗でお茶を啜っていると、そんな感じがする。

電気釜に窯入れをする橘さん。絵付けの分野に使う。

工房2階のギャラリー
愛媛県伊予郡砥部町五本松
TEL 089-962-2168


梅山窯古陶資料館

梅山窯古陶資料館内部
砥部では最初、砥石の屑を使って磁器を焼き始めた。先人が苦労を重ねて材料の陶石を近くに見つけ、品質を向上しながら、やきもの先進地域の技術を取り入た機能的で温かいやきものを生み出し、今日をつくってきた。古陶資料館は小さい施設だが、そういう砥部の歴史を実物で見ることが出来るすばらしい内容である。