過去の連載記事
同じ年の連載記事




第94回 開明学校のピアノ
 
西予市宇和町卯之町 
 近々、松山からの高速道路が開通する宇和町卯之町を久しぶりに歩いた。開明学校にある古いドイツのグランドピアノを使ったコンサートを聴き、落ち着いた、少しも飾り立てたところのない町を巡った。

 古いピアノ
 3月13日の土曜日の午後、明治初期に建てられた擬洋風の小学校建築の開明学校で小さなコンサートが開かれた。作曲家やチェレスタの演奏家として知られる森ミドリさんが、なつかしい日本の唱歌を中心にしたプログラムでピアノの弾き語りをした。森さんが弾いたピアノは何年か前に修理して調律された古いピアノである。大正時代から昭和にかけて、東宇和高等女学校で使われていたドイツ、ライプチィッヒでつくられたホイリッヒという名のグランドピアノだ。時が経って長らく使われずにいたものを、宇和高等女学校の卒業生たちが中心になってお金を出し合い、修復したものである。昔の音色が甦ったピアノは、開明学校の2階に置かれ、様々な催しやコンサートで活用されてきた。古くなったピアノを捨て、新しいピアノを買うのは簡単なことだが、多くの卒業生たちは記憶を伝える年老いたピアノを愛惜してやまなかったのである。
 森さんはその卒業生たちの志の高さに敬意を表し、最初にピアノを弾きながら、東宇和高等女学校の校歌を独唱された。森さんの歌う声に何人かの卒業生の歌声が加わり、澄んだピアノの音が明治の木造の校舎に心地よく響いた。もちろん初めて聴いたが、清楚で品があり、とてもよい校歌だと思った。コンサートは、客席からのリクエストに気軽に応える森さんのウイットに富んだ語りによってだんだんと佳境に入り、最後に「宇和の春」と題して森さんが即興で作ったピアノ曲が演奏されて終わった。森さんは演奏会の前に、中町の町並を歩いたそうだ。小さな山を越える古い遍路道を越えて明石寺を訪れたという。即興曲「宇和の春」は、気持ちよく晴れわたったその日の宇和の春景にふさわしい、爽やかで美しい曲だった。
 森さんは「今日は、この前来て弾いたときよりも、また1段と音が出ていたような気がします。新しいピアノはいくらでもあるでしょうが、このピアノは、きっと、もうここにしかないピアノでしょう。みんなで大切に使って聴いてあげれば、ピアノも喜んで、こんなにいい音を出してくれるんだと思います。」と語り、演奏会の後も宇和の町を時間のあるだけ歩きたいと締めくくった。
 この町の町並や自然の美しさが生活の中で、つつましくしっかりと保たれているのは、ほかでもない、年老いたピアノ1つに愛情をそそぐ、宇和の人々の質朴で心やさしい気風ゆえであろう。親しみに満ちたとてもよいコンサートだった。
 町歩き
 コンサートが終わり、開明学校を出て、民具館の脇の路地に入った。右手に卯之町教会が見える。幼稚園の子供たちが滑り台やブランコで遊んでいる先の角に美しく年をとった感じの民家がある。そこから右にまた路地を下ると中町の通りに出る。江戸後期から、明治にかけて建てられた商家が連なる町並みの核心部である。高速道路の宇和インター開業にあわせて、月末には、南予を舞台にして愛媛町並み博が始まる。すでに、様々なイベントが始まっているが、先日は松屋旅館で明治の結婚式が再現される模様がテレビで伝えられていた。心なしか華やかさを増した松屋旅館を過ぎ、中町の通りの突き当り先哲記念館右隣の池田屋酒店(渡辺家)に入った。池田屋はかつて、高野長英が匿われた隠し部屋のある旧庄屋の建物である。豪壮な建物の1部が小さなギャラリーと喫茶店として活用されている。吹き抜けに大きな梁を見せるすばらしい空間でおいしいサイホンコーヒーが飲める。カウンターに腰掛け、コーヒーを飲む。数ヶ月ぶりである。「めずらしい、ほんとに久しぶり」だとご主人の渡辺さんが言った。しばらく話して、二宮敬作住居跡の方に道を下った。シーボルトの弟子で、日本で初めて女医になったというシーボルトの娘のイネを養育した医師二宮敬作の家は跡形もないが、小さな記念碑が立っている。そこから右手の狭い路地に入ると少し先に、敬作の家の離れの2階屋の、2階部分のみが残っている。渡辺家の隠し部屋に匿われる前に高野長英がしばらくいた部屋だと伝えられている。その路地の少し先が松屋旅館の裏。角の小さな洋風建築の所を左に下ると商店街だ。右に行くと、明治33年頃に木蝋を扱う商家として建築されたが、エジソンが電灯を発明したために、開業を取りやめ、戦後は小児科医院となった風格のある建物がある。隣が更地になっているので奥行きの深さがよく見える。旧宇和町小学校の木造校舎が移築されて活用されている米博物館に行って引き返すと、6時が近くなった。少しお腹も空いてきたので、これまた久しぶりのJR駅前のレストラン「ステーション」に向かうことにした。

Copyright (C) TAKASHI NINOMIYA. All Rights Reserved.
1996-2012


重要文化財の開明学校で行われた小さなコンサート。東宇和高女の古いピアノが甦る。
それぞれの写真をクリックすると
大きくなります

渡辺家と遍路道

二宮敬作の家の離れ屋の2階部分。高野長英が一時匿われたという。

渡辺家の醸造蔵

渡辺家の「鳥居門」

卯之町教会の裏の路地

中町の商家

卯之町三丁目の民家。細部の意匠が美しい