第27回 日本一の菩提樹
伊予郡中山町盛景寺
6月のはじめ、知人に中山町出淵の盛景寺に日本で1番大きい菩提樹の古木があると聞いて出かけてみた。その人は、今ごろはきっと菩提樹の小さな淡い黄色の花が咲き始めているかもしれないと言い、車で行くには、寺の裏門にまわるとよいとも教えてくれた。
菩提樹の寺
国道56号線から中山町役場の方へ橋を渡るとすぐに盛景寺に突き当った。私は、教えられた通り、寺の周囲をめぐるようにして、裏参道の手前に車を止めた。菩提樹という木を実際には知らぬ私は一瞬迷った。いったん本堂の方へと裏参道を下ると、ちょうど、寺の娘さんがおられて、「なにかご用でしょうか」と小走りに駆けよってこられた。
「あの、菩提樹の木は……」と私が言うか、言わぬかのうちに、娘さんは晴れやかな表情で「菩提樹はあそこです」といって私の背後をさし示してくれた。
振り返ると、位牌堂の大きな瓦屋根の上に、勢いよく葉を繁らせた大きな枝を広げている木が見えた。「ごゆっくり見て行って下さい」という娘さんの親切なことばを後に、私は、道を引き返して菩提樹の下に立った。まだ花は開いてなかったが、ハート型の大きな葉の下についた、細長い飾り葉の下に小さな実のようなつぼみがいっぱいに、ぶら下がっている。木の根元には、ひっそりと野の仏たちが立っておられる。愛媛県指定天然記念物菩提樹という1メートルほどの高さの御影石の碑と、行き届いた説明の文章が墨書された屋根付の説明板もあった。その説明によれば、この菩提樹は、盛景寺開山の法燈円明国師心地覚心大和尚が、建長6年(1254年)南宋時代の中国から持ち帰って、この出淵の地に植えたものという。円明国師の帰朝の年から、数えて樹齢は700数十年になる。
様々な「菩提樹」
その日、帰宅してマイクロソフトのエンサイクロペディアで「ボダイジュ」の項目を引いてみた。「ボダイジュ Linden 中国と朝鮮半島原産のシナノキ科の落葉高木。日本へは12世紀に僧栄西がもたらしたとされる。釈迦が木の下で悟りをひらいたという菩提樹は、クワ科のインドボダイジュだが、中国ではこの木が寺院に植えられた」もう少し引用してみよう。「高さ10~15メートルで、樹皮は灰褐色。縦に浅く裂け目がはいる。葉は長さ5~10センチのゆがんだ3角状広卵形(ハート型)。葉の裏や葉柄に白く細かい毛が密生する。6月ごろ、葉のわきから集散花序をだし、香りのよい淡黄色の花をひらく。果実は長さ約8ミリの球形で、褐色の毛におおわれる」。まさしく盛景寺の菩提樹である。さらに「シューベルトの歌曲にうたわれているのはヨウシュボダイジュのことで、一般にリンデンバウムとよばれている。ヨーロッパにひろく分布し、日本でも植物園などでみかける」とあった。有名な、シューベルトの連作歌曲「冬の旅」第5曲目の「菩提樹(リンデンバウム)」もまた別の菩提樹であった。(写真参照)
この説明によっただけでも、お釈迦様が6年間の苦行の後、インドのブッダガヤで、この樹の下に座して悟りを開いたというクワ科の常緑喬木であるインドボダイジュ、そして、おそらくは、葉のかたちが同じハート型でよく似ているために中国の僧たちがインドボダイジュのかわりに菩提樹として植え、入宋した日本留学僧によって日本に伝えられた落葉樹でシナノキ科のボダイジュ、さらにシューベルトの歌曲に歌われたヨウシュボダイジュと3つの「菩提樹」があることがわかった。
菩提樹の花
800年近い年月を経て、風格のある巨木に育った盛景寺の菩提樹の下に立っていると、学僧たちが樹下で思惟するのに、まったくふさわしい木であるという感じに満たされてくる。この木は、お釈迦様がインドのブッダガヤで、その樹下に座したインドボダイジュそのものではない。しかし、中国の僧たちがこの木を菩提樹として、寺院に植えたこと、さらに、命をかけて海を渡り、中国で仏教を学んだ若い留学僧たちが、この木を日本に持ち帰った事実が胸を打つのである。この菩提樹こそが、彼らが成道せんものと、思惟を深めた思い出の菩提樹であったに違いないと思った。
6月半ばを過ぎた頃、そろそろ菩提樹の花が咲く頃ではないかと思い、ふたたび盛景寺を訪ねた。菩提樹はまさに満開だった。飾り葉の下に鈴なりになった小さい淡黄色の花が風に吹かれてはらはらと降りそそいでくる。樹下の石仏の上にも、地面にもあたり一面に、小さな菩提樹の花が降り敷いていた。
裏参道を下り本堂にお参りした。山門をくぐり下の赤門の正面に回ると、「菩提樹は本堂の裏にあります。花は6月の終りから7月初めまでが見頃ですから、足元に気をつけてゆっくりご覧になって下さい」との小さな札が貼ってあった。はじめて来た時の寺の娘さんの親切な応対が思い出された。
『樹下逍遥』
庫裏を訪ね、ご挨拶をして、寺を辞するときにご住職の奥さまから水上勉の『樹下逍遥』という本を貸していただいた。その本には、水上の生れた福井県大飯町にある盛景寺の菩提樹に次ぐ、日本第2の菩提樹のことが書いてある。水上は、子供の頃にその木が菩提樹であることを知らぬまま、毎年「トンボのかたち」をした花果がつくことから、「トンボの樹」と呼び、散った花果を拾って、風に立たせては、遊んだそうだ。ところが、愛惜して止まぬ、その菩提樹が、今はとうに村の人たちからうち捨てられた存在になってしまったというのだ。水上は「この老樹について、日本で2ばんめの菩提樹だと語るひともいない。著名な伝来樹の中でも、仏教的に意味のふかい樹であることなど、子供たちに話してくれる古老もいない」と嘆き、古樹は人々がその木にまつわる人文の歴史を語り継いでこそ生々してくるのだと書いている。
行基菩薩以来の寺伝が昨日のことのように語り継がれ、健やかに800年近い時を重ねた、伊予中山、盛景寺の菩提樹の幸いを思わずにはいられなかった。
シューベルトの菩提樹、ミュラーの詩。
城門の前の泉のそばに
菩提樹が立っている。
わたしはその陰で甘い夢を見た。
……菩提樹の枝はざわめいて
『仲間よ、ここへおいで
ここにおまえの憩いがある』
といっているかのようだった。
(「NHK趣味の百科シューベルトを歌う」日本放送出版協会)
〈参考〉
水上勉「村の菩提樹」(『樹下逍遥』朝日新聞社刊所収)、「大同無門・菩提樹の盛景禅寺」俳句雑誌「櫟」1998年6月号、ボダイジュの項目(マイクロソフト・エンカルタ'97エンサイクロペディア)、新佛教辞典 中村元監修 誠信書房
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