- お し ら せ -
・20.06.23
伊予再見
伊予再見とタイトルを改め、更新を再開いたしました。
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・14.05.15
三橋玉見と武内潔真
編集人がまとめた小冊子『三橋玉見と武内潔真』が宇和島市教育委員会から刊行されました。
南予出身の三橋玉見と武内潔真は、明治の半ば過ぎ、現在の宇和島市津島町御内で、少年時代を共に過ごしました。代々医を業とする家に生まれた三橋は岡山の第六高等学校の時代から、倉敷の実業家大原孫三郎の知遇を得、大原家の奨学金を受けて東京帝国大学医科大学に進みます。三橋を追うように、宇和島中学から第一高等学校に進み東京帝国大学で電気工学を学んだ武内も、三橋の紹介で大原家の奨学金を受け、学業を終えた後はともに後半生を倉敷で過ごします。二人は倉敷で、大原孫三郎や児島虎次郎らとともに倉敷文化協会の中心メンバーとなり、本業の医師と電気技師という仕事をしながら、倉敷の社会改良や文化運動に大きな貢献をしました。この二人の南予人は、大原孫三郎や児島虎次郎をささえた無名の存在ですが、自らの名をあげるより、文化や芸術が普通の暮らしの中に根付かねばならないと信じて精一杯誠実な人生をつらぬきました。三橋は社会衛生の発展に貢献しながら、倉敷緞通や酒津焼など倉敷の手仕事を振興するために尽くし、柳宗悦の民藝運動の精神を倉敷に結びつける大きな役割を果たしました。武内は柳宗悦の民藝の思想に共鳴し、生涯、民藝の理想を体現して暮らすことをめざしました。今回は筆者の非力と紙幅の制限が有り、二人の故郷での足跡と倉敷との縁についておおまかに触れることしかできず、不十分な内容のものとなってしまいました。
三橋については、民藝とのかかわり、南画や絵や書についての姿勢、中村憲吉を師と仰いだ短歌について、暁烏敏の歎異抄講座に感銘を受けて倉敷暁烏会をつくった信仰の問題について、児島虎次郎や大原孫三郎との交遊について、岡山六高、東大医学部時代の友人関係、医師としての活動についても書かねばならないことが多く残ってしまいました。
武内については生涯の出合いとなった柳宗悦の思想と民藝運動への関わりについて、大原美術館館長としての仕事、陶器館の建設などについて、ほとんど触れられませんでした。若き日の欧旅については、先頃失われたと思われていた年代の日記が存在することがわかり、児島虎次郎の示唆を受けて熱心に見てまわった美術館や博物館、建築などについての武内の思いが明らかになる可能性があります。又、労研饅頭を松山に伝えた田崎建作牧師と三橋の親交について、労研饅頭の創始者暉峻義等と武内潔真の深い関係についても触れることができませんでした。
今回は、その欠落を埋めるため、資料編として武内潔真が編集した『三橋玉見追想録』から三橋の短歌や文章を、友人諸家の追想を、雑誌『工藝』と『民藝』から二人の文章を摘録したものをまとめ、コピーして宇和島市教育委員会で希望者に配布しましたが、今後、稿を改めて増補するつもりです。
今回の、小冊子には、画家藪野健先生の倉敷の町並みの画と写真家畑亮氏の倉敷酒津の無為村荘の写真を掲載させていただきました。
小冊子と資料集御希望の方は宇和島市教育委員会文化課森田氏に御連絡下さい。
電話 0895-49-7033 bunka@city.uwajima.lg.jp
・09.11.18
東京の子規 歩く人・子規
11月15 日、井上明久さんの本誌連載『東京の子規』が本になりました。書名は『東京の子規 歩く人・子規』です。
連載に加筆訂正をほどこし、新に漱石と二人で歩いた京都について、また、芭蕉の跡をたどった「はてしらずの記」の旅についてなどの章を書き下ろして上梓されたものです。
井上さんは子規の「その人の足あと踏めば風薫る」の句を巻頭に掲げ、「僕は子規を“解釈”なんかしたくなかった。ただ、子規を“感じ”たかった。その人の足あとを踏んでいった時に薫ってくる風を、この身いっぱい受けたかった。……歩く人としての子規。僕はもっぱらこの点に深い関心と熱い共感を抱きつつ、本稿を書き進めた。……晩年の子規が持った文学的、人間的な深さや凄みには欠けているだろうが、その代わりこの時期の子規には何にも増して軽やかで勁い脚があった。青々しくて、未熟で、青春の真只中にいた子規。僕はそんな子規に一番強く心惹かれている」とあとがきに書いています。子規が井上さんの平たく、深く、生彩のある筆致で、ぐっと近い存在に思えてくる本です。表紙の装画は藪野健先生の草鞋の紐を結ぶ子規の絵です。
ぜひご購読をお願いします。
版元は松山の創風社出版。定価:本体1600円+税。
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