1月下旬、津島町岩松に出かけた。
私は1度、『てんやわんや』の小説家獅子文六が、忘れ難い味として何度となく随筆に書いた岩松川の白魚を食べてみたいと思ったのである。
白魚が食べたい
毎年、新聞で白魚漁の記事を見て、そのうちにと思いつつ機会を逸して過ごすうちに、私の白魚に対する期待はどんどんふくらまざるを得なかった。
ものを書くということについて文学的真実より他は一顧だにせず、正直な筆が地元の顰蹙(ひんしゅく)を買った獅子文六が白魚にだけ、世辞を使ったりするはずはない。100歩譲って、文六の筆の冴えを割り引いたとしても、それでも、生きた白魚は、そうとうの美味に違いないと思われた。私は文六が書いている通りに、岩松川の水面にちり緬のような皺をつくりながら、川を溯ってくる白魚をすくいとる威勢のいい様子を夢想しつつ、車を走らせたのである。
文六がつづら折れで野猿が出ると書いた松尾峠にトンネルが抜けた今は、宇和島を過ぎて、20分もしないうちに岩松の中心につく。
白魚漁は岩松川が国道と交わるところから上流、川原がある程度広くなったあたりで行われている。私は、青い鉄橋を渡って、車を止め、町立津島病院のすぐ前の川原に降りた。
今の白魚漁
この季節にしては暖かい。やわらかい日差しの中で、中年のご夫婦が、漁をされている。ご主人が小船を操り、網の片方を引いて川の中ほどまで出る。奥さんが岸で網のもう一方を持って立っている。
しばらく、じっと見ていると「止まったよ」と奥さんが、小船の上に立つご主人に声をかけた。ご主人はゆっくりと網を引きながら、舟を岸に漕ぎ寄せ、浅瀬まで来て川に入った。2人が両方から近づきながら網をたたむようにしてあげると、網にかかったアオサの表面にきらきらと透明な白魚が光っているのが見えた。
アオサについた白魚を竹のざるに振るい落としているお2人に近寄って漁の話しを聞いた。
岩松川は海に近い汐入の川である。朝早くに漁を始め、満潮を過ぎて1、2時間くらいまでの間に14、5回、網を仕掛けてはあげるという。満ちてくる潮に乗って川を上がってきた白魚を潮が止まった瞬間に網をあげて獲る。私は、潮は1日に1度だけ満ちてくるものだと思っていたが、実際は完全に満ちるまでに何度も小さな満ち干きを繰り返すのだそうである。その小さな満ち潮が止まり、小さな干き潮が始まる直前に網を上げて白魚をとるのである。
私は、文六が、随筆に少し小ぶりな白魚が、ちり緬のような皺を水面につくりながら群れを成して川を遡上してくると書いていた話をしてみた。 すると、奥さんが「それはいつのことじゃろうね。お義父さんの小さい頃でもそんなにいっぱいおっつろうか。私らは見たことないね」と不思議そうにご主人の方を見て言われた。
うかつだった。よく考えれば、当たり前の話である。文六が岩松に疎開していた、戦後すぐの頃とくらべれば、漁獲量が同じであるわけがないのだ。当時は日本カワウソだって棲息していた。
先ほど、お2人があげた網は大漁の部類で、少ない時は、1度の網に小さな白魚が4、5尾しか入らぬこともあるという。ここは、漁場としては、海からいちばん遠いから位置的に不利な場所に思えるが、川を奥まで上がってきた白魚は元気なのだそうだ。ざるの中に白魚に混じって1尾の小さな銀色の魚が跳ねている。ボラの稚魚だそうだ。鮎の稚魚もいた。
今年は例年に比べて漁獲量が多いから、30日の白魚祭りには、たっぷり白魚がありますよと奥さんが言った。
白魚祭りまでにはまだ日があったので、獲れたばかりの白魚を分けてもらった。1合升に1杯が1,500円。思わず日本酒1升の値段と比較してしまう。しかし、生きた、旬の白魚であるから高いとは言えない。私は、近くの釣り具やさんで「ぶくぶく」という名の酸素を補給する手軽な道具を買い、スチロールの入れ物に3合の白魚を入れてもらった。これだけあれば、4人家族で、存分に楽しめる量だそうだ。
白魚の御汁
私は、急いで家に帰り台所で、白魚を入れた容器の蓋を開いた。「ぶくぶく」のせいか、白魚はまったく元気であった。子供を呼んで、ザーッと言う音を立てながら、白いスチロールの容器の水面にチリメンのような皺を作る白魚を見せた。透明な白魚は、川の水に混じった藻に染まり、すこし緑がかった色に見えた。「父ちゃん。これなに」と息子が言う。少し気味が悪い様子だ。娘は「え、こんな生きてるの食べるの」と非難めいた口調である。あげくのはてに、妻は「白魚ってもっときれいかと思った」などと言う。縁無き衆生である。
私は、いささか気落ちしたが、すぐ蓋を閉め、文六先生の絶賛する生きた白魚の御汁を作り始めた。先生は、煮立てた吸い物に大量の生きた白魚を投げ入れると、生きた白魚からおびただしいヌメリと膏が出て、中国料理の「燕巣」のような濃美な味になると書いていたはずだ。
私は燕の巣などという珍味を食したことはないから想像するしかないが、文六先生は、別の随筆に中国料理の羹のようになると書いているから、いくぶんどろっとしたものには違いなかろう。
私は、文六先生の言う通り、具に椎茸と人参の千切りを入れ、薄口醤油で吸い口加減に味を整えた御汁を煮立たせた。ぴちぴちと跳ねる白魚を半分ほど、ざるにとる。何匹かが飛び出して床や流しの上で跳ねる。ザルの白魚を水道の水でサッと洗い、煮立った鍋に一気に放り込んで火を止めた。透明だった白魚はあっという間に文字どおりの白魚になった。すぐに椀にすくって味をみた。淡白で品のよい味でとてもおいしい。しかし、多少のヌメリはあるが、文六先生のいう濃美な味というものにはほど遠い味である。いったい、鍋の御汁の温度が低すぎたのか。あるいは、白魚の量が少なすぎたためだろうか。理由は判然としない。
私の思いは千千(ちぢ)に乱れるばかりだ。
ほとんど思い入れのない妻は、「美味しいわよ」などと言って気楽な様子で啜っている。娘は「残酷」と言って見向きもしない。息子は私に気をつかったのか「おいしいよ」と言ったが、1杯でもうたくさんという感じ。疲れた‥‥。
ヌメリ
残りの白魚は天ぷらにした。これは子供たちも喜んで食べた。おどり食いは、「児戯に等しい」と断じた文六先生に忠義建てをしてやめた。揚げたての天ぷらはおいしかったがたくさん残り、翌朝も少し食べた。我家の白魚祭りは私にとって、多少わびしい気分の残るものであった。
私は、冷たい天ぷらを食べながらなんとなく、友人から聞いたドジョウの話を思い出した。小さい頃、父親が、大きな瓶にドジョウを飼っていた。餌を与えるのが彼の役目だったから、それなりにドジョウをかわいく思うようになっていたという。ところがある日、父親によってそのドジョウたちが生きたまま鍋で煮殺される。熱さにたまりかねてピョンピョン跳ね、鍋の蓋に音を立てて当たっていたドジョウは、身の回りに痰のようなドロドロのヌメリをまとわりつかせながらドジョウ汁になり果てて食卓に供された。彼は、残すと父親に叱られるのでおいしそうに食べたそうだが、心の中は地獄だったという。
しかし、そのドジョウ汁が今では彼の大好物だ。やっぱり白魚のヌメリにもそんな魔力があるにちがいない。またいつか試してみよう。
〈参考〉
獅子文六『食味歳時記』(中公文庫)、
※『てんやわんや』も昨年毎日新聞社から復刊された。