第73回 内子ハーブ紀行
喜多郡内子町程野
卯之町駅前のレストランで内子町の山間の集落でハーブを栽培している農家について聞いた。国道からだいぶ山中に入った標高の高い、景色のよい場所だということで訪ねてみることにした。
ジェノヴェーゼのスパゲツティ
宇和町で遅い昼になり、しばらくぶりで卯之町駅前のレストラン「ステーション」に入った。カウンターの席に座ると、キッチンの中からご主人の横手さんが「すごく元気なバジルがたくさん入ったんですよ。葉が柔らかくて、香りもすごくいいんです」と話し掛けてきた。横手さんは料理に使うハーブはほとんど自家で栽培されているが、たまたまバジルを切らしてしまったので、旧知の内子の農家から取り寄せたのだという。 「このハーブを栽培している人はとてもきちんとしてるんですよ。種類に応じて土の質や湿り具合、日当たりや風通しとかをよく考えて植える場所を決めてるんです。」
横手さんは、その大量のバジルを新鮮なうちに、松の実(ピノリ)やニンニク、オリーブオイルといっしょにミキサーにかけて冷凍保存したという。今日は、それにブイヨンとバルミジャーノチーズを加えた横手さん特製のジェノヴェーゼ・ソースのスパゲッティをつくってもらうことにした。しばらくして供されたスパゲッティは、とても風味の豊かなものであった。適度な濃厚さと、バジルの爽やかな薫りがよくあっている。おいしいスパゲッティを食べていたら、なんとなく、このバジルがとれたハーブ畑をたずねてみたくなった。
場所を訊くと、国道56号線を内子町立川から4キロほど山に入ったところだそうである。
内子のハーブ
週末に、早速その内子町の仙波さんという農家のハーブ畑をたずねた。場所は集落の名が程野ということ、そして国道を立川公民館ある幟立の信号から左に入るということを聞いていたので後は、迷いながら行くことにした。
内子町は早くからハーブの栽培が定着した町である。新鮮で安価で、品質がよい農産物や特産品をもとめて町外からもよく買物客が訪れる「内子フレッシュパークからり」にもハーブ・ガーデンがあり、「
内子香辛野菜倶楽部」というのがあって、家庭用の小口のハーブの注文に応じている。(必ずほしい場合は要予約)町としての取り組みが早かったせいもあってか、内子町には業務用の需要に応えてハーブを作る農家も、自家用に露地でハーブの栽培を楽しむ家庭の主婦も多いと聞いたことがある。
仙波さんのハーブ畑はどんなところなのだろう。昔、長い航海の果てに、故郷イタリア、ジェノヴァの港に近づいた船乗り達は、陸から吹いてくる風が運ぶバジルの香りに故郷を実感し、胸が高鳴ったというようなことを何かで読んだのを思い出す。なんだかわくわくしながら車を走らせた。内子の町中を過ぎ、JR立川駅を過ぎ、右手に豆腐屋の看板のある信号で、立川公民館を目印にして国道を左折した。
程野へ
すぐに道は高速道路と並行した谷川沿いの山道になった。川に沿って上り加減の道を数分走ると、赤ペンキで書いた矢印で程野という地名を指したベニヤ板の案内板があった。その矢印に従ってUターンするようにして、急な九十九折りの山道の登りに入った。ぐんぐん上っていくとタバコ畑が広がる集落に出た。ここではないようだ。昼が近いせいか畑に人の姿はない。その集落を過ぎると谷に沿った山道になった。車を止めて左手の谷を見下ろすと見事な棚田が広がっている。一人の麦わら帽子を被った男の人が歩いているのが小さく見えた。谷に沿って蛇行する道を詰めていく。所々に櫨の木が道に覆い被さるように枝を伸ばしている。構わず登っていくと谷が狭まったところで道が又九十九折りになった。三叉路に出くわし、迷ったかなと思いつつ、なおも右手の道を上がっていくとすぐ先で空が開け、曲がり角に民家が見えた。そこで車を止めて玄関先まで行き、「ごめんください」と大きな声で何度も呼んだら、しばらくして、奥からおばあさんが出てこられた。「程野に行きたいのですが……」と言う私に、おばあさんは、にっこりして「ここが程野の入口じゃが」と答えてくれた。仙波さんの家は、そこから少し上がったところだった。
ハーブ畑
程野は標高631メートルの船ヶ迫岳の南側の斜面に広がる集落である。仙波さんのお宅は程野の最上部で、ハーブ畑は、西に1キロ半ほど行ったところにある。愛犬を連れて午後の作業に出かける仙波さんの車について、畑に続く細い農道を走った。登りが急になったと思ったら未舗装の道になり、少し不安を感じたが、すぐつきあたりになってハーブ畑に着いた。谷を見下ろす、陽当たりと風通しのよい場所である。標高は500メートル近くはあるだろうか。来た道の方角に遠くの山並みがうっすらと見える。林を背にした畑は、谷にそって扇形に広がっていた。手前の方には、夏の間はビニールの覆いをはずした温室が一棟ある。
仙波さんは、九州の福岡から関西方面まで、主にレストランの注文に応えられているが、今のお得意さんだけで手が一杯だという。夏はハーブを露地で自家栽培する人が多いので、ほんとうに忙しくなるのは冬になるそうだ。
広々とした畑にはバジル、フェンネル、ディル、タイム、セージ、オレガノ、エストラゴン、ローズマリー、イタリアンパセリなど料理に使うハーブをはじめ、仙波さんの好きなドライフラワーにする花々やマカデミアナッツの木などがそれぞれに適した場所を選んで植えてある。仙波さんが好きなアカンサスの花も咲いていた。
木陰に置いてあった手製のベンチに腰をかけて、しばらくぼんやりしていた。涼しい風が谷から吹き上げてくる。「今は雑草を引いて風通しをよくするくらい。梅雨の準備中です。のんびりして、ここはいいとこでしょう。」と仙波さんが言う。ほんとうに一日ハーブの香りにひたりながらのんびりとすごしていたい気分になった。
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