田圃の畦に彼岸花が咲き始めるころから、秋の終りまで南宇和の人たちはよく川蟹のツガニを食べる。臼で搗いて味噌汁に入れたり、茹でて頬張ったりする。
10月下旬、城辺町に出かけ、僧都川のツガニでつくった玉水旅館の「蟹汁」を食べ、宮本輝の小説の舞台を歩いた。
「月に浮かぶ」
宮本輝の「月に浮かぶ」という短編小説の中に、御荘湾に月見に出た主人公が宿の主人と川蟹(かわがに)の料理について話す場面がある。
「中秋の満月は、少しずつ、私たちの頭上へと動いていた。それにつれて、海面に映る月も、私たちの近くへと近づいてきた。
「ホゴのキモはうまいなァ」
と私はチュウさんに言った。
「あしたはもっとうまいもんをつくりますでなァし。朝早くから杵をつくけん、うるそうて目が醒めるかもしれんけん、あんまり遅うまで女を舐め廻さんでやんなはれ」
私は苦笑し、杵をついて、いったいどんな料理を作ってくれるのかと訊いた。
「ツガニの料理でナァし」
「ツガニ?川蟹のツガニかい?」
チュウさんはそうだと答え、都会の人間は本当にうまいものを知らないのだとつづけた。
「これは残酷な料理でなァし。生きちょるツガニを生きたまま杵で叩きつぶして、甲羅もミソもなにもかもを裏漉(うらご)しにして、それに豆腐を混ぜて、吸い物にするんでなァし。生きちょるツガニでないとあかんのや。豆腐はツガニの身を固めるためのニガリみたいなもんで。まあ、いっぺん食べてやんなはれ。これは、ほんまにうまいけんなァし」
(宮本 輝「月に浮かぶ」より)
宮本輝は父の郷里、南宇和郡一本松町の隣町である城辺町で昭和25年から約2年間、3歳から5歳までの2年間を過ごした。ほんの幼児のころだから、宮本が父の郷里で、記憶しているのは闘牛で猛り狂った牛の恐ろしさと断片的な風景ばかりであるという。
最近第4部の『天の夜曲』が刊行されたライフワーク『流転の海』5部作の第2部『地の星』のための取材で宮本が南宇和を再訪したときに滞在したのが城辺町の玉水旅館であった。宮本は、その後も南宇和に来たときは玉水旅館を定宿とし、旅館と御主人の河野忠夫さんをモデルにして、行間からそこはかとなく城辺の風景や人気(じんぎ)が立ち現れてくる短篇「月に浮かぶ」を書いたのだった。
私は1度、この川蟹の吸い物を食べてみたく思い、昨年、この小説のモデルになった城辺町の玉水旅館を訪ねた。しかし、そのときは季節が蟹の時期を過ぎていたために、味わうことが出来なかった。今年の秋になってふと思い出して玉水旅館に電話をしたら、くったくのない声で「いつでもどうぞ」ということだったのですぐに出かけること決めたのである。
ツガニとり
10月16日の朝8時過ぎ、玉水旅館の勝手口で声をかけた。カニ汁を食べる前に、僧都川にツガニを取りに行く若林鉄雄さんと本田功さんに同道させてもらうことになっていた。2人は河野さんの義理の弟さんである。
「イサオサン」「テッちゃん」と呼び合う2人が乗った軽トラックの後に尾(つ)いて10分ほど走り、御荘湾の河口に近い僧都川の川原に降りた。水草がゆらゆらとなびいている水中にカニ籠が沈められている。2人は、水面に浮かんだ発泡スチロールの浮きをめがけて鉤のついたローブを投げてはひっかけ、籠を次々と手繰り寄せる。水から揚がった籠にはきれいに骨だけになった餌のカツオと一緒に数匹のツガニや川海老が入っていた。
「きょうは、あんまり入っとらんのお」
「うん、もお一雨こんといかんわい」などとのんびりした会話を交しながら、2人はとれたツガニをトラックの荷台のバケツに移していく。ツガニは雨が降るたびに上流から下流に運ばれてくるのだそうである。本田さんは、ゆっくりと、小さいカニをよりわけては、川に戻してしまう。少しもったいない気がしたので「せっかくとれたのに」と私がいうと「小さいのはとらんほうがええ。また大きゅうなってからとったらいいわい」と穏やかに言われた。
カニ籠に餌を足してふたたび川に戻した後、若林さんが「今度は山の方へ行くけんな」と声をかけてくれた。
僧都川の支流である長月川にそって走る。前方の青く澄み渡った空の下に濃緑のたおやかな観音岳の連山が見えた。稲刈りの終わった田圃の間を流れる川をどんどんとつめて行く。急に道が細くなったあたりで2人のトラックが止まった。もう谷川のようになった長月川にかかる朽ちかけた木の橋の手前の石垣を伝って本田さんが川に降りた。しばらくすると、下から「おる。おる」という声が聞こえた。引上げられた籠の中のカニを見ると、やけにでかい。河口でとれたカニの3倍くらいの大きさはある。
本田さんが「もう、何遍も雨がふっとるけん、カニはたいがい、下の方に流されとる。今、山に居るのは数は少ないけど、でかいやつが多いんよ」と笑いながら教えてくれた。
カニ汁
谷川の中に仕掛けた籠をいくつか引上げた後、こんどは河口に向けて下り、何ヶ所かの場所でカニ籠を回収して玉水旅館に戻ったのは昼前だった。季節のはじめに比べると、とれる量が少なくなったということだが、それでも、バケツに2杯ほどのカニが揚がった。
荷台からカニを下ろした若林さんが「カニを取りに行くのは楽しいんやけどなぁ。ほら、入っとるかなあと思うて見るまでわくわくするやろう。でも、これからが大変なんよ」と私に言う。これから、生きたカニを杵でついてこすのである。つく役が若林さんだ。漉すのは本田さん。大きな寸胴鍋に真水で洗ったカニを入れて杵でつく。20分くらいついたところで、ぐちゃぐちゃに潰れたカニを少し水を加えながら押し出すようにして漉す。漉した後はふたたびそれを鍋にもどしてまたつく。それを2回繰り返すのである。1鍋つくのに約1時間。見ているだけで相当の労力がいることがわかる。小説に書かれている通り、カニのエキスは少しも残さずきれいに漉し取られる。それを今度は大鍋に入れ日本酒と淡口醤油で煮る。ササガキゴボウとねぎと潰した豆腐を加える。しばらくすると、カニの身が鍋の中で寄って固まり、汁が澄んでくるのである。
台所の脇の茶の間で、カニ汁をいただいた。「きょうのはよおつけとる。カニの味が濃い」と河野さんが言った。ほんとうに何とも言えぬ味わいだ。うまい。かすかに、ほんのりしたいやみのない甘さがあって、野趣のある旨味がある。私は、あっという間に1杯を啜り終わった。河野さんは「ほんとは、麦飯やサツマイモで炊く芋飯にぶっかけて食べるのがいちばんうまいのやがなあ」といいながら、今度はごはんにカニ汁を山盛りぶっかけたのをすすめてくれた。
私は、さんざんにカニ汁をごちそうになった後、『地の星』の舞台となった深浦漁港や、宮本輝が幼少の頃を過ごしたと言う北裏のあたりを歩きに出かけた。
『宮本輝』
新潮四月 臨時増刊
『月に浮かぶ』所収の短篇集『胸の香り』【文藝春秋社刊】
人の生きる哀歓がこもった7つの短篇がおさめられている。
「月に浮かぶ」のあらすじ――仲秋の満月の頃、主人公の森は仕事で城辺町を訪れ、チュウさんという男が営む旅館に滞在する。森は46才の東京の大型焼却炉のパテントを持つ会社の跡取り息子だ。旅館に東京の妻から脳梗塞によって老人性痴呆症が始まった森の母の病状が思わしくないので、なるべく早く帰ってほしいという電話がある。しかし、森は少し前に妊娠したことがわかった美幸という若い愛人とこの旅館で待ち合わせているため、すぐには帰れない。妻への罪悪感から思わずため息をついてしまうという、そんな仲秋の日の夜、美幸の到着を待つ森は、チュウさんと船で御荘湾に月見に出る。満月がちょうど頭上にさしかかろうとする時に、船の無線が鳴り、東京の妻から電話があったことを告げられる……。しかし、義母を手厚く看病する妻を欺く、虫のいい生き方をしてきた森に運命は平手打ちばかりを返えさない。不思議なことに、すべては満月のようにこともなく終わる。