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第111回 続 城山散歩
 
松山市 
 早朝、城山の4つの登城道を散歩する。慶長年間の様式でつくられた平山城の全容をほぼ伝える史跡の中で、豊かな自然を満喫しながら、心地よい汗を流すことができる。

4つの登城道
 松山城には、現在、4つの登城道が整備されている。すべてが昔のままではないが、歩きやすいし、美しい城の建築や石垣のながめと豊かな自然を楽しめる素晴らしい散歩道である。
 4つの道を上げてみよう。まず、1つは東側の東雲神社から、ロープウェイやリフトの下をくぐって登る東雲口登城道。2つ目はかつての三の丸跡、通称堀之内の東端の黒門跡から二の丸の脇を通って大手門跡に出る黒門口登城道。3つ目は古町口登城道。城山の西側、愛媛師範学校附属小学校跡の碑がある場所の石段からずっと木々に覆われた道を乾門に登る道である。大正初めに広げられた道という。4つ目は県庁裏登城道。県庁脇の二の丸史跡公園入口を右に登り長者 (ちょうじゃ) が平 (なる) で東雲口登城道と合流する道である。
 4つの道それぞれに上り下りの景色や勾配の違いがあって散歩の道の選び方は、好みや時間、季節、体調でどのようにも選ぶことが出来る。
 私は最近は、4つの登城道を1回ずつ全部通る1時間半程度の散歩を楽しんでいる。最初は東雲神社に参拝した後、東雲口登城道を上がる。紫竹門・乾門を経て裏側の古町口登城道を下る。三の丸東端の山裾沿いに黒門跡に出て黒門口登城道に入る。大手門跡から再び本丸広場に戻り、乾門から今度は北側の石垣沿いの道を歩く。長者が平に出た後、県庁裏登城道を下る。

東雲さんから
 8月末の午前6時を過ぎた頃、ロープウエー街の毘沙門坂から東雲神社の石段を上がった。子規に「社壇百級秋の空へと登る人」という句があるが、石段は途中で、武家屋敷の門のような構えの神門をくぐり、まっすぐ本殿に通じている。
 松山藩祖松平定勝を祭る東雲神社は、敗戦の年に空襲に遭って焼失したが、昭和48年に本殿や能舞台が再建された。神主さんから、「東雲さん」の神主は松山地方の有力な神社の神主が12石の扶持米をもらって輪番でつとめ、事あるときは槍を取って武家屋敷の門のような神門を守ったのだと聞いたことがある。虚子や鳴雪の句碑が石段の脇にあるが今日は通り過ぎて、一気に本殿に上がった。お詣りして左手下の登城道に戻る時、ちょうど境内を掃いておられた神主さんが「残暑が厳しいですなあ」と声をかけてくださった。
 リフトの下をくぐると道はすぐに木々の中に入る。数分でロープウェーの駅がある長者が平に着く。さらに少し登り、左に曲がった揚木戸門跡で道が1度平坦になる。美しい扇勾配の本丸の石垣にそって突き当たりを右に折れると左手に大手門の跡がある。正面には太鼓櫓がそびえる。ふだんは奥に天守閣が小さく見えるが、今は修理工事の最中でシートでおおわれている。太鼓櫓の下でUターンする道を進み、戸無門をくぐって左折すると大手最大の要害である筒井門と隠門(かくれもん)がある。筒井門を過ぎ、小さな広場に出てすぐ先の太鼓門を通れば本丸広場である。本丸広場には、すでに何人もの人が景色を眺めながら休んでいた。お年寄りが多いのは早朝のせいだろうか。私は南側の石垣に沿って眼下の堀之内や遠くの山並み、瀬戸内海や興居島を眺めながら、紫竹門から小天守閣・多聞櫓・南隅櫓の美しい石垣の下を通り、松山城で最古の建物の1つ、乾櫓と野原櫓の前に出る。この辺りの城の建築と石垣の美しさにはいつも見とれてしまう。乾門をくぐると、乾櫓の直下を道は右に曲がる。その先を、すぐ左に下る木々におおわれた道が古町口登城道である。この道の右手下に広がる斜面が、城山で最も大木の生い茂る場所と言われる。まっすぐに下るのがふつうの道であるが、右手に伸びる林の中へ続く細い道を行く。アベマキの巨木が茂る中に続く、緑影の濃い涼しい下り道である。
 途中で右に下ると、本道に合流して、あっという間に下の道路に下りつくことができる。

黒門口登城道
 左手に最後の石段を下り、山沿いに歩く。蝉の声はツクツクボウシである。かつての三の丸西邸があったラグビー練習場跡を右手に見ながら五分も歩けば、左に黒門跡の石垣が見えてくる。黒門跡から左に入り、栂(とが)の門跡、槻(けやき)門跡と門の用材を名とした門の跡の石垣の間を左右に曲がりながら通り抜ける。槻門は総門とも呼ばれるが、石垣だけ見ても、防備の強さを感じる。少し上り二の丸史跡庭園の脇から左手の山中に登るこの道が黒門口登城道である。慶長年間につくられた二の丸から本丸への通路であったが、明治17年に三の丸すなわち堀之内が22連隊の兵営となったために、いったん閉ざされてしまい、以後は林の中に埋もれたままであった。それが昭和44年に改修され、再び観光用の登城道として復活した。勇壮な城門跡の石垣からアカマツの古木が残る静かな山中に入る導入の良さと、天守閣への距離が一番近いという点で、散歩の最後の大きな上り道には最適であると思う。
 ある時この道を登っていたときのこと、ひとりのお年寄りが前を歩いていた。手を少し前後に振りながら、左右にこまかくジグザグしながら、すいすいと登っていく。もう追いつくかと思うのだがなかなか距離がつまらず、私の息が上がり掛けたことがある。疲れたとき、このお年寄りの歩き方を試してみた。まっすぐ登らず、登る方向と水平方向に左右にジグザグしながらゆっくり登るのである。すごく調子がよかった。10分近く登ると、木々の梢の先に大手門の石垣が見え、その上に戸無門や筒井門の屋根が見えてくる。大手門跡はすぐそこだ。松山市発行の『松山城第五版』には、樹間から天守閣が見え隠れしたとあるが、木々が生長して今はよく見えない。

石垣沿いの道から県庁裏へ下る
 再び同じ登城路から本丸広場ヘ上がり、乾門から下る。今度は先ほど下った古町口登城道に左折せず、野原櫓の下を通り、艮(うしとら)門へと続く北側の石垣沿いの平坦な道に進む。この道がまた美しい。扇勾配の石垣が美しい上に、古木が多い。チシャ、榎、椋などの古木には、名札が掛かっていて、私のように木の名前を知らぬ者は、この道で初めて幹の違いや葉の形を知ることが出来た。
 天壇の虎口となる艮門を過ぎ、巽櫓の下を通ると長者が平のすぐ上に出る。
 長者が平から今度は右に下る。やはり緑におおわれた足元のよい道である。数分も下れば二の丸に続く石垣が右手に見えて、最後のやや急な下り道となる。この下り道は、1番下から、ほぼ同じ勾配でまっすぐ二の丸の方に上る道が延びている。昔、中学生の頃、学校の帰りに自転車でこの道に上がり、猛スピードで二の丸の方に下り、何度も交互に上り下りを繰り返すといういたずらをしたことを思い出した。
 県庁の脇に降りて時計を見ると約1時間20分。城の建物や景色の写真を撮ったり、木の名を覚えたりしながらゆっくり歩けば2時間程度のウォーキングになる。季節によって違いがあるが、早い人は、5時過ぎにもう本丸広場に上がり着いているようだ。
 松山城散歩は奥が深い。知られぬ林の中の道も多く、修理中の天守閣のある天壇や堀之内の三の丸、二の丸史跡庭園、山麓の萬翠荘まで加えれば散歩の楽しみはますます広がるだろう。

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1996-2012


古町口登城道から見上げる乾櫓南側
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武家屋敷の門のような東雲神社の門

古町口登城道
アベマキなどの緑が濃い

1度下山した道であったおばあさんとクロちゃんという犬。城山に住む野犬のボス犬が連れていた子犬を育てたそうだ。

栂門跡の石垣
隅は算木積。拍子木の様な長方形の石を1段毎に長手方向を変えて積み上げている。

黒門口登城道を登りきると、戸無門と筒井門の屋根が見えてくる。