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戸島小学校のチョウジガマズミ
第131回 伊予のライラック
 
 
 戦国時代のキリシタン大名、ドン・パウロ一条兼定終焉の地として知られる宇和島市沖の戸島や嘉島には、4月の半ば前後にチョウジガマズミの清楚な白い花が咲く。

 (それぞれの写真をクリックすると大きくなります)
チョウジガマズミ
 昨年、戸島のことを書いたときに、伊予吉田の法華津屋三引高月家のご当主である高月一さんからお葉書を頂いた。ご母堂の実家が戸島庄屋田中家であること、田中家からカソリックの司教が2人輩出していること(私は松田毅一氏の本だけ見て、司祭と誤記していた)、さらに戸島のヒジキの植生などについても、私の杜撰な書き物を読んで頂いて、身に余るご教示をいただいた。

- 蒋淵へ運河をくぐる -
 葉書を頂いた後、吉田でお会いする機会があり、宇和島地方の方言や祭事に関する資料のコピーなどを高月さんからいただいた。その時に高月さんが「戸島に、伊予のライラックと言われるチョウジガマズミが自生しているはずだから、ぜひ見てきて下さい。花期は桜の後。実生で宇和島で育てている人がいるがなかなかうまく育たないそうです」ということを話された。私は、「伊予のライラック」に引かれ、昨年の5月、初夏の風が吹くころに出かけてみた。龍集寺に行き、千葉城圓和尚に伺うと、自生地はわからないが、寺の庭と小学校の校庭に実生から育ったチョウジガマズミがあるとのことで、木の立っている場所に案内していただいた。しかし、その時は、すでに実が育ち始めた頃で花を見ることはできなかった。花期は4月上旬から中旬にかけてとのことであった。
 チョウジガマズミは、落葉低木で、高さは約3メートルくらいに育つ。樹皮は灰褐色で、枝先の芽は裸芽。若い枝には星状毛があるという。葉は広卵形から狭楕円形で、葉裏には放射状の毛がある。集散花序を頂生し、花は白色でわずかに淡紅色を帯び、芳香を放つ。果期は6月から10月。実生で容易に殖やすことができると書かれているが実際には、園芸の経験がないと、なかなか難しいと聞いた。


- 戸島本浦の集落 -

 県内では、八幡浜市、三瓶町、宇和島市、県外では四国の香川県、中国地方や・九州の福岡県に見られるそうだ。ところで、チョウジガマズミは愛媛県のレッドデータブックに載っている。愛媛県カテゴリー絶滅危惧1B類(EN)、環境省カテゴリー準絶滅危惧(NT)に指定されている。園芸的な価値が高いため採取によって個体数が減り、台風など自然災害による塩害や自生地の崩壊といった生育環境の悪化が心配されるため絶滅危惧種に指定されたのだと言う。

戸島再訪

ドンパウロ一条兼定の墓。手前左手に田中英吉司教の建てた記念碑がある。
 4月半ば過ぎ、龍集寺の千葉城圓和尚から葉書が届いた。そろそろチョウジガマズミが満開ですとある。私は葉書をもらった次の休日の昼前に高速艇で宇和島を出港し、戸島に向かった。残念なことに、和尚さんはその日は島を留守にされているとのことであったが、何分天気と花のことが気にかかるので出かけることにした。
 港について先ず、龍集寺の庭の木を見る。去年、場所は確かめてある。咲いていた。淡い紅を含んだ白く小さく可憐な花である。これだけ見ても来た甲斐があったと思う。ドン・パウロの墓と田中家の墓に参った後、小学校へ。木は校舎のすぐ手前に植えてある。こちらも満開だった。出てこられた校長先生に自生地をご存知ないかと聞いて見たが、漁協の前や家々の庭木しか見たことがないとのことだった。

- 戸島龍集寺にある戸島庄屋田中家の墓所 -

 小学校から、漁協の前に戻り、やはり満開の前庭のチョウジガマズミを撮る。写真を撮っている挙動不審者のように見えたものであろう。中から見とがめた男の人が「花の写真撮っとるンか」と言いながら現れた。「はい」と応えて、自生地を聞いて見た。「山の奥の崖地で絶対にたどりつけん。」とのこと。
 本にも、チョウジガマズミは、海岸の岩場や、山の中の崖に自生していると書いてある。嘉島に自生している場所を知っている人があると聞いたが、戸島で自生している場所がはなはだ行きにくい場所であることしかわからなかった。
 1度や2度来たくらいでは、絶滅が心配されるチョウジガマズミがそう簡単に微笑んではくれないだろう。虫のいい話しであった。先ず、冬枯れの時に1度山をしっかり歩かないことには見当をつけることも出来ない。


- 戸島への高速艇「あけぼの」船内 -

- 高速艇は水荷浦などいくつかの港へ寄港する -

- 戸島本浦に着いた盛運汽船の「しらさぎ」 -

「伊予のライラック」

- 伊予のライラックと言われる戸島のチョウジガマズ -
 島から帰って、松山の古書店で『昭和45年愛媛新聞連載 伊予の花』という小冊子をもとめた。著者は愛媛県立博物館の八木繁一氏。著者の伊予の花への真率な愛を丹念なスケッチと文章の行間に感じさせられる好著であった。その4月11日のところに「ちょうじがまずみ」が登場していた。引用する。
「私は先年(昭和44年)4月10日、義宮様(天皇陛下の弟君、現常陸宮殿下)を土佐から宇和島へお迎えした。お宿の天赦園(今はステーキレストラン)には戸島自生のチョウジガマズミの満開の枝を玄関から各部屋に残らず生けておいた。・・・花は淡紅色五裂小花だが、これが密集した団塊がどの小枝にもある」(「伊予の花」愛媛自然科学教室 昭和46年発行)
チョウジガマズミの香気が強烈で宿は甘い香りに満たされたと言う。義宮様に同行した久松定武知事は「伊予のライラック」と激賞されたそうであるが、殿下は余りに匂いが強過ぎると仰せられて部屋の外に花を持ち出されたと言う。伊予のライラックというのは、久松知事の命名であったのだろうか。八木氏は戸島ではイワツツジと呼び、移植は好まぬが、実生は容易とも書いている。

- 帰りは日振島経由 -
 いずれにせよ、この当時、チョウジガマズミは山奥の崖地に人知れず自生していた風情ではない。手折って、天赦園の部屋を満たすほどに群生していたのであろう。
 この記事が伝えたエピソードは昭和44(1969)年のことだ。団塊の世代の学生反乱が世を覆っていた時代である。それから約40年経った。今、「伊予のライラック」は絶滅が危惧されている。
 来年はなんとか自生地をこの目で見てみたいものと思う。

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