第107回 吉田の密柑山を歩く
北宇和郡吉田町
5月初め、吉田町の密柑山を歩いた。
海と山が寄り添った静かな湾や、小島の浮かぶ青い海の風景は、見ていて飽きることがないほど美しい。
陣屋町から
宇和島市などとの合併途上にある吉田町は、平坦部が町の総面積の1割ほどしかない。昔から約26キロに及ぶ海岸線と、海に迫った山々が作る谷間に集落がつくられてきた。そして、今は海に向かった山々のほとんどの斜面に蜜柑が栽培されている。私は吉田の旧町内に住んでいるが、時間のあるときは、少し散歩の足を伸ばして海の景色がよい密柑山に登る。山が海に迫っているため、少し登っただけでぐんぐん高度を稼ぐことが出来る。朝の海、夕焼けの美しさ、青い空や雲の佇まい、静かな湾を行き来する小さな漁船の白い航跡など、季節や時間によって目に触れる景色は様々だが、歩いていてこれほど気持ちのよい道は、そんなにはないと思っている。
歩き始めの旧町内は、約340年ほど前の江戸時代初期に伊予吉田藩3万石が宇和島伊達藩10万石から分知されたときに葭(よし)の茂る河口を埋立ててつくられた陣屋町である。藩の政治経済の中心として約1年半の工期で急造された町だ。町の大きさは南北わずか1キロ半で、山と2つの川、その川を結ぶ人工の川と堀によって、4つの地区に区分された。町の北側の石城(せきじょう)という戦国時代の城跡の麓に陣屋があり、続いて武家の居住区である家中町、「横堀」という人工の堀を隔てて、九丁の格子状になった町人町、さらに吉田湾に面して水軍施設のあった御舟手(おふなて)がある。町割りだけは昔のままだから、わずかに残る江戸時代の武家屋敷や町家、山裾の寺や神社の位置を手がかりにして歩くと、昔の陣屋町のスケールを身近に感じることが出来る。
密柑山へ
横堀の袂で国道56号線を西側の犬日城の山裾に渡り、川にそった細い道を歩く。長栄橋を過ぎ、対岸の住吉神社や吉田港の昔の波止を眺めながら吉田湾に出る。左手にはずっと三角形の遠見山が見えている。かつての吉田湾は水深が深く、戦前には、戦艦陸奥が寄航したと聞いたことがある。鉄道が通る前は、宇和島から吉田を経て、大阪までの航路が開けていて、吉田だけでも年に四千数百人の乗降客があったというが、今はさびれ果てた感じがして、とてもそんな賑わいはない。時折、水しぶきを立てて帰ってくる漁船とすれ違いながら、山側の民家の佇まいを見ながら歩く。吉田小学校を過ぎたあたりに、いつか吉田の古い写真を集めた本で見かけた藩政時代の水夫の家に似た家があった。寂びた色合いの瓦屋根に白い障子、雨戸が美しく古びている。少し先に行くと、長屋門のある家のあたりに「友浜」というバス停がある。宇和島と吉田を結ぶ連絡船が吉田の港に出入りするときに立ち寄って、港までの遠回りをさける人を乗り降りさせたという。
友浜を過ぎて、魚の加工場を過ぎ、浅川という集落に入ったところで右手の密柑山に入った。ウグイスとホトトギスの鳴き声がどこからともなく聞こえてくる。作業用の1トントラックが通る道だから、急な場所もそれほどの勾配ではないが、ゆっくりと遠回りしながら登る道である。それが景色を楽しみながら登るのには具合がいい。すこし上がって振り返ると、知永峠の向こうに鬼ヶ城連山が見えてきた。高さはそれほどには感じない。
蜜柑の花
ひとつ道を曲がるたびに足元に見える麓の集落がどんどん小さくなる。両側にびっしりと植えられた蜜柑の木は、いっぱいふくらんだつぼみをつけているが、白い小さな花が開いているのはほんの少しである。下の集落がぽつんと見える蜜柑畑で、草刈りをしていたおじいさんと少し話をした。今年は、場所にもよるが、蜜柑の花が少し遅いという。ここからの風景のすばらしさ、特に夕焼けの美しさは長年、毎日ここに登っていてもほんとうにせいせいするという。おじいさんは、今でもただ夕焼けに染まった海を眺めるためにだけ、密柑山に登ることがあるそうだ。しばらくそんな話をしていたら、蜜柑づくりの後継者が少ないという話題になった。仕事がきついせいか、収入の問題か、理由は1つではないだろうが、とにかく少ないそうだ。吉田は蜜柑の町と言っても言い過ぎではない。こんなに美しい風土の中で、丹精して育ててきた密柑山に跡継ぎがいないとしたら、これほどさびしいことはない。海に向かい、いっぱいの陽を受けて育つ吉田の蜜柑のおいしさ。子供の頃は1日にいったい何個食べたことだろうか。そのおいしい蜜柑を食べて大きくなった私たち50代の子供たちが後継者に育たないということは、私たちの責任が重いということだけは間違いないことである。
パノラマ
おじいさんに手を止めたことをわびて、さらにのぼる。右に小さな切り通しを抜けると、こんどは西予市宇和町の方向に、富士山のような形をした高月山、その左手にするどく小さなブイ字形に切れ込んだ法華津峠がかすんで見え、手前には吉田の町と犬日城、石城という2つの戦国時代の城跡が箱庭のように見える。少し平坦になってから左に急な上りを登ると、一気にパノラマが開ける。鬼ヶ城連山が湖のように静かな吉田湾と吉田の山々の向こうに堂々とした姿を現し、宇和海の島々や岬が空と1つになって広がる。振り返れば吉田の町がジオラマのように見え、昔の町割りがよくわかる。少し歩いた身近な場所にこれほどの景色があることのうれしさはたとえようもない。
下りは来た道を戻ってもよいし、まっすぐ越えて鶴間の方へ竹林の中を通る涼しい道を下ってもいい。鶴間からは、犬日城の登山道を上がる。気が向けば、余り展望は開けないが、頂上に上るのもよい。下りは石神さまへの快適な土の道を下り、切り通しを過ぎれば、今朝歩いた河内川の畔の道に下ることができる。以上で約1時間半、景色の良さに後押しされて気持ちよく歩くことができる私のおすすめの散歩道である。
Copyright (C) TAKASHI NINOMIYA. All Rights Reserved.
1996-2012