第105回 西条建築散歩
~民芸館と現代建築~
西条市
西条に出かけた。民芸館からはじめ、帰りには、禎瑞の難波の集落に出かけて石鎚連峰を眺めた。
えひめ民芸館から栄光教会
堀の中の旧西条陣屋敷地には、県立西条高校の両脇にえひめ民芸館と栄光教会・幼稚園・牧師館が建っている。ともに、西条に工場のあるクラレの経営者であった故大原總一郎の寄付によって建てられたものである。設計は浦辺鎮太郎。倉敷国際ホテルで知られる倉敷生まれの建築家である。京都帝国大学で建築を学び、武田五一に最も大きな影響を受けたという。民芸館の白壁土蔵を思わせる外観や、黒瓦の化粧貼りは、浦辺の建物の際立った特徴だ。単なる懐古趣味ではなく、浦辺が近代建築の行き過ぎた合理主義に対する批判を込めて摂ったデザイン手法である。館内に入ると、吹き抜けの、円い天窓から柔らかい光が落ちている。2階の床は松板で、窓枠や階段の踏み板や手摺にも木が使われていて、ヒューマンスケールの温かみのある雰囲気が漂う。
建物を寄付した大原總一郎は建設当時、民芸運動の創始者柳宗悦没後の日本民芸協会会長を務めていた。館蔵品の基礎は京都時代の柳宗悦から直接民芸蒐集(しゅうしゅう)の薫陶(くんとう)を受けた周桑郡小松町出身の菅吉暉氏のコレクションである。砥部焼や伊予絣など愛媛の民芸もある。この民芸館のつつましく持続的な展観を見ていると、戦前の困難な時代に、岡山県倉敷という地方都市に、本格的な美術館や社会の貧困を解決するための社会問題研究所、東洋一の総合病院などに私財を惜しむ事なく投じた大原孫三郎とその後継者大原總一郎が築き上げた企業の社会貢献、文化事業に対する姿勢の清々しさを強く感じさせられる。
南岳山光明寺
民芸館を出て、駅前本通りの愛媛銀行と香川銀行の間の細い道に入る。安藤忠雄の設計で本堂を改築した浄土真宗のお寺、光明寺はそこから数分もかからない。門は元々の伝統的な建築であるが、中に入ると、見たこともない木造建築の本堂が待ち受けている。
最近出た『安藤忠雄建築手法』(GA刊)で二川幸夫のインタヴューに応えて語った安藤の言葉に「木造技術の原点に立ち返ってその合理的精神のもと展開していくということ……。過剰に仕上げ的に木造を使うのではなく、木構造ということを特別にアピールするのでもない。木の空間が持っている静かで、かつダイナミックで、心の中に静かに残っていくような建築を考えたい」とある。水に浮かんだこの木造の本堂は、ほんとうに安藤の言葉のままだと思う。「垂木がつくる屋根が日本建築しか持っていない空間性、広縁を思い出させる。それが安定感をもたらし、空間を締める」という理屈を抜きにしても、自然に心に響く建物である。施主の要望は「木造、西条は水が湧くので水を使って欲しい、人が集まる場所なので明るくしてほしい」という3つだけだったそうだ。この新しいお寺の建物は、日が経つにつれ、益々多くの人を惹きつけているようだ。
西条市立体育館
光明寺の駐車場から東の方角に不思議な形のコンクリートの建物が木の間がくれに見える。坂倉準三建築研究所の設計になる西条市立体育館である。今から約40年以上前、1960年から1961年にかけて建設された。現在は老朽化して危険なので、立ち入り禁止になっているが、外からは眺めることができる。坂倉準三は岐阜県羽島市の出身。一高から東京帝国大学文学部美術史学科を卒業後、渡仏。パリ大学で建築を学び、1931年からル・コルヴィジュ建築事務所に入った。坂倉は師のコルヴィジュに、もっとも親炙した日本人の弟子である。
文学部の美術史出身、フランスで建築を学んだという日本の建築家としては、特異なキャリアである。1936年には、日本政府の委嘱を受け、パリ万国博日本館の設計監理を担当した。若い坂倉は昭和10年代の国粋的風潮が強まる中で作られた日本政府案にとらわれぬ設計を実施したため、多くの日本政府関係者の不興を買う。ところが、皮肉な事に完成した日本館は、坂倉の師のコルヴィジュを押えて国際大賞を受賞し、坂倉は一気に国際的名声を博してしまった。坂倉への非難も消えた。
体育館は、打ちっ放しコンクリートむき出しの愛想のない仕上げだが、見る場所によって様々な表情を見せる。プロポーションが美しいし、新しい。飽きる事がない。廃屋になった今も、実に存在感のある建物だ。かつて坂倉は、クライアントである宮崎県知事に当てて出した手紙に「私は自然の景観は永遠に新しく生きつづき得るものと考えるものでございますが、その自然と一体となるべき建造物は、それが建てられた時代と密着いたして居るもの、すなわち、その時代に正しく根を下ろしているものだけが、永遠に新しく存続し得るものと考えております。……もとより、独善的な、現代を誇示して、奇を衒うがごときものは、現代に正しく根を下ろしているものとは申せませんが、一方擬古的建物は建てられた時、すでに根なし草であり、決して歴史に生き残り得ないと信じております」と書いている。
この体育館はその言葉を裏切っていないと思う。活用が模索されているそうだが、最近話題のリファイン建築などで甦らせる事はできないものだろうかと思う。
浦辺鎮太郎、安藤忠雄、坂倉準三と新旧の巨匠たちの傑作を見ながら、西条の町を歩いていると、冠雪した石鎚山が時々顔を出す。帰りには、石鎚連峰が1番よく眺められるという禎瑞(ていずい)に向かった。
〈参考〉
『現代日本建築家全集』11巻・12巻(三一書房)
『安藤忠雄 建築手法』(GA)
『日本の現代建築を考える○と×II』(GA)
『わしの眼は十年先が見える 大原孫三郎の生涯』城山三郎(新潮文庫)
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