第14回 板ヶ谷のお茶づくり
深い山の、澄んだ空気の中で自然のままに育てられた山茶に、板ヶ谷川の川霧が降る。昔から、宇和町明間の板ヶ谷でとれるお茶は、格別においしいといわれてきた。
板ヶ谷の朝
5月12日朝5時、宇和町明間の文治ヶ駄馬鉱泉に出来た町営温泉「游の里」を左に見ながら奥へ、奥へと登る。標高6、700メートルの山々に囲まれた狭い谷を1番奥まで上りつめると少し谷が開け、つづら折れの道路の周りに棚田が広がっている。きょうは、板ヶ谷で自家用のお茶を作られている兵頭静さんと初子さんのご夫妻を訪ね、お茶づくりを見せていただくのである。板ヶ谷公民館手前の細い道を左に上がった突き当たりにある兵頭さんのお宅に着くと、丁度初子さんが火を起こす準備をされているところだった。
お茶をつくる
「朝のうちは、炒ったり、干したりするので、茶摘みに出るのは毎日午前10時くらいから午4四時くらいまでよ」と言いながら、兵頭さんが前日、摘んだ茶葉を鋳物の釜で炒りはじめた。火加減を確かめ、熱が釜の中の茶葉全体に均等に行き渡るように、まめまめしく手を動かし、よくかき混ぜる。10分ほど炒って、茶葉がはんなりとしたら、手早く台の上に敷いた筵の上に開けて揉む。茶葉を集めては広げ、集めては広げしながら腰に力を入れて、しっかりと揉み捻る。茶葉の水分がにじみ出し、色が少しずつ深くなる。茶葉が撚られて、だんだん細く丸まってくると、それを何度も手で捌いてまた揉み上げる。焦らず、ゆっくりと力を入れて何度も繰り返して揉む。額に汗の玉が浮かび、手が茶葉の色に染まってくる。そうやって、揉み上げたお茶を、手さばきして、大きな竹ざるに広げ天日で干す。昼前、半分干し上がったくらいのときに、茶葉をもういちど軽く手でさばく。干し上がったら、丁寧に選別し、最後に炭火で焦がさぬように時間をかけて、じっくりと炒り上げる。
茶摘み
前庭から細い道を下り、清らかな流れを渡る。少し幅のゆったりした草の道に出て茶畑に向かった。兵頭さんが正面奥、山が低くなったあたりをさして「あそこの窪を越えたらすぐ三間町の黒井地じゃけんな。この道が昔の宇和島へ行く大往還じゃったのよ」と言った。道の脇に古い茅葺きの観音堂がある。兵頭家の茶畑はその向側にあった。お茶を摘むのは柔らかい新芽が出る五月だけだ。1つの芯から新芽を2、3枚ずつ摘み、黙々と籠に入れて行く。1日約5時間近く摘む。
揉むこと、干すこと、炒ること、摘むことと、実際に見せていただいて、お茶づくりは、つくづく手間のかかる仕事であることがよくわかった。
昼前に初子さんと、1番上の山際の茶畑に上がった。10年前に神戸の会社を定年退職し、ご夫婦で板ヶ谷に帰ってきた末光トヨ子さんがお茶を摘んでおられた。茶摘みを手伝いながら「手入れが上手じゃからここの茶は葉の形がええわい」とほめる初子さんにトヨ子さんが「全部、山に生えとったのを持ってきて、植えかえたんやけん、山茶とかわらせんのよ」と応える。明るい日差しの中を、初夏の気持ちよい風が吹き抜けて行く。時刻はもう正午に近い。
板ヶ谷の水
家に戻り、出来立てのお茶をいただきながらお昼をごちそうになる。筍や蕨の煮物、クジュナという山の木の葉と大豆を煮たの、自家製の漬け物など、旬の山の味をぞんぶんにいただいた。兵頭家のお茶は炭火でじっくりと炒り上げてあるので、急須で入れても充分に味と香りが出る。ご飯の味によく合うお茶である。清涼感があり、渋みと苦みがほどよくある。そして、どことなくまろやかだ。ご飯もお茶も、何杯おかわりしたことだろう。「おいしかろう。板ヶ谷はお茶もおいしいが、水がええのよ」と兵頭さんが笑われた。家の裏山から落ちてくる豊富で、清冽な山水は飲み水にもなるし棚田に引かれて米作りの水にもなる。
板ヶ谷小唄
戦争が終わり兵頭さんが復員して区長になったとき明間小学校には382人の学童がおり、板ヶ谷だけでも47戸の家があった。今は23戸で、人口は100人を切る。ご多分に漏れず、板ヶ谷も過疎の山村には違いない。
しかし、兵頭さんたちはしっかりと故郷を守っている。守るだけでなく、おどろくほど積極的だ。兵頭さんが会長を務める明間の老人クラブが運営する、名水百選「観音水」にある流しそうめんの店は出汁の味がよいと評判だし、板ヶ谷の入り口にある町営温泉「游の里」の売店には、四季折々の山の物産を出品している。毎年3月の第1日曜日には、「2月入り」という御伊勢様の餅撒きを昔に変わらず続けている。谷は帰省する人々で大いに賑わうのである。初子さんは最近『板ヶ谷小唄』というのを作詞した。2番を紹介したい。
「ダキのまわりは躑躅の名所 奥へ登れば お茶畑 山の女は愛敬者 1度来たなら度々お出で サァ お茶でも一服おあがりな」
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