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第52回 安森洞の夏
 
愛媛県北宇和郡広見町小松 
 広見町小松から、四万十水系の広見川の支流にそって棚田の中の山道を上り、安森洞をたずねた。鍾乳洞から湧き出る冷たい地下水を使ったそうめん流しを味わい、ひんやりした洞窟の中に入った。

 広見川
 宇和島から国道320号線を走り、近永の町を過ぎ、果樹試験場の先のトンネルを抜けると、右手に広見川が田畑の間をゆっくりと流れるのが見えてくる。私はこの風景がとても好きだ。自然のままの護岸が多いから、川がとても近く感じられ、しかも、背後の山々や田畑、山裾の農家のたたずまいが郷愁をかきたてる。春夏秋冬それぞれに、水面に小さな波を立てながら流れる清冽な水と、青い山、そして澄みわたった空が気持ちをせいせいさせてくれる。ある冬には、渡ってきた数10羽の鵜の群れが川面から白一色の雪景色の中に一斉に飛び立つのに出合ったこともある。
 そうめん流しの案内板に従って、小松の町の手前を左折し、細い道に入る。
 古い石垣が積まれた棚田の中を安森川にそって上っていくと、道はだんだん、細くまがりくねり、勾配がきつくなる。道のわきに「安森洞そうめん流しへ後何キロ」という看板が次々と立っているので迷う心配はない。
 国道から4キロほども上がると左手に見事な石垣のある瓦屋根の農家と、屋根が葺き替えられたばかりの茅葺きの農家が見えてきた。道が広くなっている所で車を止め、右手の谷側の方を見ると、傾斜地にネットが張られ、何百羽というキジが飼育されている。ほとんどのキジが羽ばたいたり走ったりしているが不思議に鳴き声は聞えない。養鶏場のような臭いもしない。そこから200mほどさらに上ると、谷川の脇にそうめん流しをしている新しい四阿風の建物がある安森洞についた。
 安森鍾乳洞の発見
 昭和34年8月12日、広見町小松の御在所山(標高908.1m)の中腹で鍾乳洞が発見された。その当時、新しい観光地として脚光を浴びていた高知県土佐山田町の鍾乳洞「龍河洞」を訪れて刺激を受けた地元の人たちが、昔から知られていた「風穴」(地下の鍾乳洞から空気が吹き出してくる穴)を掘って見つけたものだ。入口を塞いでいた土砂の中から多くの獣骨も見つかり、中には30万年前に棲息していたニホンムカシジカの骨ではないかと思われるものもあった。
 さっそく、「安森鍾乳洞」と名が付き、殺到する見学者に備え、故郷を観光地として育てようという意気込みで地元の人たちによる保存会も発足した。
 その秋には、早くも高知の竜河洞の開拓者である山内浩愛媛大学助教授(当時)らによる本格的な調査がおこなわれたが、その調査には、地元の安森地区の人たちに加え、広見町町内の小中学校の理科系の先生10名、町の教育長、助役、町会議員も加わり、探検隊は総勢約30名に上ったという。その模様を伝える高知新聞の記事には、「折あしく、台風15号の影響で全員びしょぬれ。しかし、洞くつさえあればどこでも飛び込むという山内助教授はランプのついたヘルメットに登山服という軽いイデタチで一行の先頭に立ち、泥んこの穴の中に元気よくもぐり込むので隊員たちも大はりきり」とある。
 鍾乳洞には美しい鍾乳石や石筍が見られたが、いかんせん、洞の大きさが小さく、15mから先は、さらに通路が狭まって、どうしてもそれより奥には進めないことがわかった。 地元の人たちが期待した観光資源としては、望みが少ないという結論が出たが、入口近くにあるタテ穴を埋めていた土からは1,000個近い獣骨が発見されたため、学術的な価値はきわめて高いものという折り紙がつけられた。
 樽淵(たるぶち)
 山の中腹にある「風穴」の調査を終えた山内助教授とあきらめきれぬ地元の「安森鍾乳洞保存会」の人たちは、標高360mまで下った樽淵の「水穴」(鍾乳洞の地下水の出口になつている横穴)を調査した。湧出する大量の水が鍾乳石や岩肌をいためてはいたが、堆積した土砂を取り除けば観光資源として活用の可能性が見えてきた。山内助教授は「整備工事には10年くらいかかるかもしれないが、何10万年もかかって、自然の力がつくった穴の修理が10年なら早いうちでしょう」と言って地元の人たちを笑わせたという。
 鍾乳洞の夢を追う保存会の人たちは、昭和46年8月になって「安森洞」と命名したその「水穴」を自力で掘り始める。約10年が過ぎ、入口から約70mまで掘り進んだところで、かつてなく強固な岩盤に突きあたる。 昭和55年1月には、その岩盤掘削の模様がNHKテレビで「ロマンを掘る男たち」として放映された。
 ウェットスーツを着て水中に入り、発破をかけるなど、かなりの危険を冒しての突破作業が繰り返されたが、上部をダムのように堰きとめ、下の裂け目から水を吹き出している岩盤はついにびくともしなかったという。
 ロマン亭
 小松から山に上がってこられた岡本知幸安森鍾乳洞保存会会長にお話を伺った。「私は化石少年やったんです。風穴がある場所はうちの山じゃから、発掘の時は高校生でしたけど、もう夢中になりました。今は「風穴」への道は荒れて、分かりにくいですが、毎年、夏休みには2回くらい、理科の好きな小学校や中学校の子どもらを先生と一緒に案内するんですよ。自分の生まれたとこはどんなとこか、何があるとこか知って大事にしてもらいたいですから。山に上げてさんざん接待してやるんですよ」と笑われる。
 岡本さんたちは、もう樽淵のこの場所はこれ以上掘らないという。しかし、鍾乳洞発見の夢を捨ててはいない。またどこか違う場所を掘ってみたいそうだ。地中には何があるか判らないのだから。「冬に山の雪が1部だけ早く融ける場所などを見つけると、「風穴」が隠れているのではないかと思って胸が躍る」と言う岡本さんの目が輝いた。
 鍾乳洞探査が頓挫した翌昭和56年の夏、「安森鍾乳洞保存会」の人たちは「安森洞」から流れ出る冷たい地下水で夏のそうめん流しを始めた。それから20年、そうめん流しの利用客は昨年夏で15万人を越えている。
 平成3年に改築したそうめん流しの四阿(あずまや)は大鍾乳洞発見のロマンにかけて「ロマン亭」という。私は、おいしい冷やしそうめんを食べながら、いつか山に眠る大鍾乳洞が発見される日を思った。

参考●『広見町誌』・『洞穴学ことはじめ』吉井良三

 洞穴学ことはじめ
『洞穴学ことはじめ』
岩波新書。1968年8月20日刊行。日本洞穴学確立の過程を生き生きと伝える書。実践的な「入洞心得帖」もある。(版元品切れ)
 広見町の安森鍾乳洞を測量調査した愛媛大学の山内浩先生の名前には、はっきりとした記憶があった。高校生の頃に読んだ吉井良三著『洞穴学ことはじめ』(岩波新書)に、日本洞窟探検の先駆者としての颯爽とした活躍が紹介されていたからである。
 日本の洞穴学は昭和の初期に始まったが、古生物、地質、洞穴生物などの研究と測量などが総合的に行われるようになり、洞穴探検が本格化したのは、その新書が出た1960年代のことだった。著者は、洞穴に棲む陸のプランクトン、トビムシに研究目標を決めて生物の進化や退化、生物地理学的究明を志して全国の洞穴探検行脚を続けた人。
 著者が率いる京都大学探検部洞穴班と山内先生ら四国を活動の場とする愛媛大学のグループは秋吉台での合同合宿を期に交流を深め、経験を共有するようになった。
 同書の「秋吉の合宿」の章には、「山内浩氏は竜河洞の開拓者である。さまざまな手づくりの装備を開発し、それを駆使して、洞内の滝を上り、奥の迷路をくまなく探検した……山岳部、スキー部および探検部の部長さんである…この部長さんは、よくあるような名前だけの部長ではない。愛媛大の山岳部は石鎚山にヒュッテを持っているが、その山小屋は部長みずから青写真をつくり、材料をはこび上げ、払い下げの材木を部員とともに製材して、造り上げた」云々とある。
 山内先生は愛媛大学教育学部で工作学を講義されていたので、玄人並みの大工技術を持っていた。石鎚以外にも大川嶺や大野ヶ原など全部で4つの愛大小屋を建てられたという。当時愛大生で洞窟探検に活躍していた越智研一郎氏らと学術探検部を立ち上げられた先生は、今から12年前に亡くなられたが、愛媛大学学術探検部の学生達は活動のフィールドを海外に広げて活躍している。

※日本洞窟学会Speleological Society of Japan
(〒754-0511 山口県美祢郡秋芳町秋吉台 秋吉台科学博物館内)のホームページにアクセスしよう。
「洞窟Q&A」もある。


 山内先生たちの活動が結実してできた洞窟についての総合的な学会。洞窟学は専門家の数が非常に少なく、アマチュアと専門家との距離がもっとも近い。洞窟探検では、だれもが知っている洞窟であっても、そこからさらに未知の大洞窟がのびている可能性がある。高い山の登頂はチョモランマで終わったが、洞窟探検にはまだその余地が十分にあるといわれる。


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1996-2012


安森洞入口と内部(写真右)
そうめん流しの建物の奥の山裾に2つの水穴がある。左手はマスの釣堀になっている。右側のオーバーハングした岩の下の水穴が「安森洞」。入口にはコウモリマークのヘルメットが用意してあり、約70mほど奥まで入ることができる。ところどころに照明がしてあって、床は、一番奥から出口まで、コンクリートで暗渠にしてある。外気とはかなりの温度差がありひんやりする。コウモリも飛んでいるが人を襲うことはない。年間水温は摂氏15℃。
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安森川ぞいの棚田。
古い石積みが美しい。

広見川風景
清冽で豊かな流れ。見ているだけですっとする。



安森鍾乳洞の獣骨
発見の翌年、横浜国大の鹿間時夫教授らが洞内を調査し、日本が大陸と地続きであった今から約十万年前の第四氷河期の頃に朝鮮半島から渡ってきたジャコウジカの獣骨化石などが見つかった。写真は岡本会長が風穴で発掘された獣骨である。タテ穴に落ちて死んだ動物の骨はカルシウム分が補充されるので原形が保たれる。

安森鍾乳洞保存会岡本知幸会長
鍾乳洞探査、鍾乳洞から湧き出す名水を使った流しそうめんと、地元の個性をいかした手づくりの観光開発に取り組んでおられる。

茅葺き民家を修復した「安森洞ふれあいの里」
風呂はないが囲炉裏での煮炊きや宿泊もできる。食材・炭などすべて持ち込み。使用料1泊1人1,000円。岡本さんは近所に心配がないからよく、カラオケ大会をするそうだ。

平成3年に改築されたロマン亭

安森洞の流しそうめんは延べ15万人の利用客が訪れた。