2006年02月号 掲載
エシュウ
第 3 回 平和な『抗争の町』エシュウ
関 洋人 (大洲市在住)
軽食堂にて
昼食は、エシュウに着いたときに入ったルイス・ゴンザーガの記念碑の脇にある軽食堂にもどって取った。牛肉、鶏、ソーセージ、茹でたじゃがいも、蒸したタロイモなど六、七種類の料理が大鍋に入って湯気を立てている。それぞれが、好みのものを自分で皿に取り、皿ごと秤にのせて重さに見合ったお金を払うやり方だ。これをポル・キロ(キロあたり)と呼ぶ。せいぜい一人百円程度の勘定だ。運転者のみが、次から次へとビールを空けている。のんびりとした昼食をとって、たっぷりと休み、車にもどった。ジュアゼイロ・ド・ノルチへ帰る車の中でも、無事に着いてからも、私が読んだ本の記述を裏切る平和なエシュウのあののどかな雰囲気に合点がいかなかった。本で読んだ『抗争の町エシュウ』、あれはなんだったのだろうという思いがずっと残ったのである。後にレシフェでも、いろいろな人にエシュウの血腥い抗争について訊いてみた。しかし、いずれも「もう終わったよ」という答えが返ってきた。真偽のほどはわからないが、いずれにせよ私の見たエシュウが平和そのものであったことに変わりはない。
ジュアゼイロ・ド・ノルチで人が集まる場所は二つ。一つはシセロ神父の遺骸が眠る教会周辺、もう一つは飛行機からもすぐわかる丘の上の巨大なシセロ像だ。夕刻、その丘の上のシセロ像へ。駐車場で、小銭をせびる子供たちの歓迎を受け、シセロ像へ取り付く階段の上り下りは物乞いの人々によってがっちりと固められている。像の足元では信心深い人々が一心に祈っている。ヘジーナも何か祈っているようだ。友人は「やれやれ、また懺悔か。悪いことばかりしてるんだろう」と実につれない。
丘を下り、夕食はシュハスカリア(ブラジル風焼肉店)へ。最悪だった。表面は焦げてカチカチ、肉汁は乾き食べられたものではない。獣医であり、肉牛を飼育している友人は当然ながら肉にくわしい。友人は「これは昼焼いて余った肉を焼き直して出している」と断言し、憤然と店の人間に抗議したが、馬耳東風の面もちだった。空腹のまま、夜十時就寝。
(つづく)
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