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1999年01月号 掲載

 
ペレン(ブラジル) 
関 洋人 (大洲市在住)
 一九九七年の年末だった。再度ベレンを訪れた私はベル・オ・ペーゾに足を向けたが、最早そこには“ハカタ”の影も形もなかった。大晦日の午前中に、我々はベレン近郊のアマゾン河の「浜辺」(海ではないが、漣が打ち寄せる大アマゾンの岸辺は浜辺というのがふさわしい)に出かけ、そこの屋台で昼食をとることにしていた。今回の一行には、ドクトルの他に途中からブラジル在住十年以上になる友人が加わっていた。彼はベレンを州都とするパラ州の隣にあるマラニョン州の人口二万ほどの田舎町で牧場の管理を任されている。さあ出かけようという矢先のことである。突然、激しいスコールがやって来た。雨は断続的ではあったが、勢いがどんどん強まる気配を見せていたので、しばらく様子を見た後に、とうとう我々は楽しみにしていた浜辺行を取り止めることにした。
 ところが、中止にした途端、空模様とは逆にくだんの友人の眼が急に輝きを増したのを私は見逃さなかった。実は、ベレンに到着した昨日から、彼の頭の中にはある食べ物に対する欲望が充満していたのである。彼が住む街には日本人は彼一人、もちろん日本料理店などありはしない。今回、我々とベレンに来る二ヶ月前に、仕事でベレンを訪れた彼はある日本料理店で「冷やっこ」を食べた。それ以来、その味が忘れられなくなってしまっていたのだ。長く異国に暮らしても最後まで同化できないのが味覚らしい。もちろん、私とドクトルはブラジルまで来て別に日本食を食べたいとも思わなかったので、彼の希望に対しては一貫して冷淡な態度を取り続けていた。この日もまた、彼の希望は一顧だにされぬはずであった。しかし、天に味方された彼は、その日の昼はどうしても二ヶ月前の冷やっこが食べたいとあらためて主張した。そのあまりの熱意の前に私とドクトルもついに折れた。
 私は「その冷やっこがうまかったのは何という店か」と彼に尋ねた。「日本領事館からそう遠くなかった。ええっと、“ミヤコ”だったかな」と彼は答えたが“ミヤコ”は我々の泊まっているホテルのすぐ裏だ。違う。
「ウーン…」と考え込んだ彼は、店の名を思い出せない。とりあえず日本領事館の周囲の通りを歩きまわってしらみつぶしに捜すと“出雲”という店が見つかった。…が「こことは違う」と言う。しばらくして突然、彼が「アッ思い出した。店の名前は“ミヤビ”だ」とつぶやいた。こんどは、“ミヤビ”を捜してあたりを何度かうろついていると「わかった!あそこだ!」と彼が叫んだ。我々は早足で彼の指をさす方向に向かった。店の前に立って看板を見ると、店の名は、なんと“博多”ではないか。後から聞いた話しによると、ベル・オ・ペーゾで大衆レストラン・ハカタを経営していたヤノサンは店を閉めて日本へ出稼ぎに行き、資金をためて帰国、心機一転、街の中心地で高級日本料理店“博多”を始めたのだという。たしかに以前の“ハカタ”とはうってかわって、今は日本領事館御用達とでもいった趣だ。


冷やっこの至福
 念願がかなった彼はまず、五百円の「冷やっこ」を至福の表情でたいらげ、次に千三百円の焼魚定食を注文した。私は千円のキツネうどんを注文。なかなかの値段だ。従業員が全員ブラジル人である以外は、完全に日本の料理屋そのものといってよい。そして、その従業員たちも注文を受ける時には、日本語で「はい」と返事をする。店内を見まわすと値段に相応して客層もいわゆる上流階級の人々ばかりのようだ。着飾った夫婦が山のように盛り付けられた海老天定食千三百円をもくもくとたいらげている。身なりからすれば我々の一行がいちばん場違いな感じであった。
 試みに主だったメニューと値段を挙げてみよう。とんかつ千百円、カツ丼千円、天丼九百円、茶碗蒸六百円、味噌汁二百円、お吸いもの三百円、焼ナス三百円、焼魚八百円、刺し身盛合せ(上)千七百円、(並)千四百円、にぎり寿司(えび二百円、ウナギ四百円、なめたけ二百五十円)サケ茶漬け千円、海苔茶漬け七百円、梅茶漬け七百円、オムライス五百五十円、焼ソバ九百円、カレーライス六百円、チキンライス五百円、最も高価な料理はさけの刺身二千五百円だった。
 とにかく、「大衆食堂」のハカタは、「高級日本料理」の博多にグレードアップして健在だった。
 ブラジル在住十年を越える友人は充分に満足し、私は高いうどんだったなという思いにとらわれながら店を後にした。
(つづく)

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