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2001年10月号 掲載

 
メリダ メキシコ・ユカタン半島 
関 洋人 (大洲市在住)

帽子を試着するドクトル
左端が客引きの少年、ドクトルに帽子を被せているのが店の主人。
 翌日は、朝食をとった後、ソカロ近くにあるメリダの街の創設者フランシスコ・デ・モンテホの家に出かけた。パティオに面した壁全面に描かれた現代的な壁画を見物。やや抽象絵画の趣がある壁画に描かれているのは、マヤ民族と征服者であるスペイン人の戦いだ。現在メキシコ人の約七割がメスティーソと呼ばれる原住民であるインディヘナとスペイン人の混血とされている。彼らには征服者と被征服者の双方の血が流れているわけだ。スペイン人による侵略戦争について、彼らはいかなる心境なのだろうか?見物の人たちの口から、何度も忌々しそうに?conquistador(征服者)?という言葉が聞こえてきたことから、彼らのシンパシーはインディヘナの側にあることは明白だった。当時は、ちょうどアメリカ軍がノリエガ政権下のパナマに侵攻していた時だったから、街角には?FUERA GRINGOS DE PANAMA(アメリカ人はパナマから出て行け!)?がそこここに見られた。
 モンテホの家を出てしばらく歩いた。街角でドクトルがメリダ名物(何故かは知らぬがホント)パナマ帽の店を目に留めた。すぐに、ドクトルを発見した客引きの少年が店から出てきて店に招き入れる。実はドクトルはパナマ帽が欲しくてしかたがなかったのである。例によって自慢の粘り腰で値引き交渉を始め、結局言い値の約三千円を二千四百円ほどに負けさせて手を打った。ただ、ドクトルは大脳が発達しているせいか頭がでかい。値段は落ち着いたのにどうもピッタリとくるサイズの帽子が見付からない。店の主人はせっかくの上客を逃しては大変とばかりに帽子のくぼみに膝をつっこんで力一杯押し広げてドクトルの頭に被せた。ドクトルも主人もにっこり。
 ところが、その数時間後、私たちがホテルに帰り着くと、玄関の前で、ドクトルがやっとこさ手に入れたパナマ帽とすこしも変わらぬ帽子を並べて売っている男がいる。そのおっさんは一個千三百円で売っている上に、少し口をきいただけで千円まで負けると言い出した。ドクトルは地団駄踏んで悔しがったが後の祭り。彼のデスクエント(値引き)にかける意地は帽子屋の主人によって手玉に取られていたのだった。
(つづく)

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