2000年02月号 掲載
メキシコシティ 5
関 洋人 (大洲市在住)
コヨアカンのトロッキーの家
フリーダ・カーロ博物館を出て、すぐ近くにある、ロシアの革命家トロッキーが最後に暮らした家を訪れた。二つの建物は距離的に近いだけでなく、二人は一時、愛人関係にあった。
トロツキーは、一九二九年、スターリンにより国外追放され、トルコのプリンキポ島やフランス、ノルウェーに滞在した後、メキシコにたどり着いた。
祖国を追われたトロッキーはスターリンに対して彼に残されたただ一つの武器であるペンをとって闘いを続けた。一九三八年末までにスターリンによる粛清の犠牲者はロシア国内で三百万人を超えたといわれるが、トロツキーの息子や最初の妻、そして二人の娘も、彼の国外追放後に、不可解な死を遂げている。
メキシコに来て三年が過ぎた一九四二年の八月二十日、スターリンによってさしむけられたゲ・ペ・ウ(旧ソ連の秘密警察)の刺客ラモン・メルカデルが、この家でスターリンを弾劾する伝記を執筆していたトロッキーの頭蓋骨にアイスピックを打ち下ろした。トロツキーは翌日に絶命し、この地に葬られたのであった。
トロツキーは、その少し前にも、政治的に対立する壁画家シケイロスたちによって襲撃を受けており、そのときの生々しい弾痕がいまだに壁にくっきりと残っている。
それにしても、一九三〇年代から五十年代にかけてのメキシコにおける亡命者や芸術家、政治家の入り乱れた人間模様は、激しく、かつ移ろいやすい愛憎に溢れ、なんとも複雑怪奇で、この界隈の平和で落ち着いた雰囲気からは、まったく想像もつかない。
死の年の二月に、この家で書かれたトロッキーの遺書の結語にこうある。
「塀の下には輝くばかりに青々した細長い芝生が見え、塀の上には、澄み渡った青空があり、日光はあたり一面にさんさんと降りそそいでいる。人生は美しい。未来の世代をして、人生から一切の悪と、抑圧と、暴力を一掃させ、心ゆくまで人生を楽しませよ」
(つづく)
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