1999年10月号 掲載
メキシコシティ 1
関 洋人 (大洲市在住)
ソカロ(中央広場)の大聖堂。
着工は1573年、完成に240年を要した。
初めてメキシコを旅したのは、もう十年ほども前のことになる。おぼろげになりつつある記憶の糸を手繰ってみると、情けないことに最初に鮮明に記憶が甦ってくるのは、成田からメキシコシティに向かう機中で、嘔吐と激しい下痢を伴う腹痛に苦しめられたことである。
一九八九年の十二月二十八日午後六時、私と友人のドクトル、そして当時大学生だったK君とドクトルの義父で七十歳に近いH老との四人は成田を出発した。メキシコシティに到着したのは、なんと同じ日の午後六時である。我々は時差の成せる術で、日本からメキシコシティーに瞬間移動(テレポート)したことになる。とすれば、わたしの下痢は、あれは、いったいなんであったのだろうか。
我々は、予約しておいた、街の中心レフォルマ通りに近いホテルにチェックインした。
このホテルはすべての客室のドアが真っ白のペンキで塗りたてられている上に、ルームナンバーの表示がないために、自分たちの部屋が判別不能という不思議なホテルだった。
大道芸人
翌朝、ホテルで不味い(ホントに!)朝食を済ませた後、市内観光に出かけた。ホテルのすぐ横の横断歩道では、大道芸人の親子が赤信号で車が停まっている間にちょっとした芸をして、素早く停車中の車を廻り小銭を集めていた。私たちは、旧ソ連でつくられた世界最大の木製ジェットコースター(十五歳以上は載れない)で有名なチャプルテペック公園を通り、メキシコ国立人類学博物館に入った。この古代メキシコ文明を集大成した巨大な博物館は愛好家には垂涎の的らしいのだが、古代文明や遺跡にはさして興味のない私は、この博物館の中で何を見たのか、もはや何一つ記憶していない。ただ、はっきりと覚えているのは、博物館の建物から外に出たちょうどその時、入口前の広場の上の抜けるような青空を人が飛んでいるのが見えたことである。私は一瞬ギョッしたが、それはメキシコ湾岸ベラクルス地方で行われるボラドーレス(飛ぶ人々)という伝統的なショーであった。地上約三十メートルの直立した棒の上から、腰をロープで縛った四人の男が、手をかざし、頭を下にして、ぐるぐる回りながら少しずつ降りてくる。見ているだけでもなかなかの迫力だった。この妙技、以前日本でも何かのテレビコマーシャルに使われていたような気がするのだが……忘れた。
ポラドーレスの妙技
昼食は、折角メキシコに来たんだから、タコスを食べようと迷わず、目についたタコス屋へ。フジヤマ・ゲイシャと同じレベルの選択である。はっきり言ってその店のタコスは旨くなかった。自慢するわけではないが、とりわけ、私が注文したサボテンのタコスはひどかった。サボテンは、やっぱりサボテン臭くて飲込むのには、一苦労したのである。
(つづく)
Copyright (C) H.SEKI. All Rights Reserved.
1996-2007