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1996年11月号 掲載

 
サンタクルス あぶない話1 
関 洋人 (大洲市在住)

サンタクルス美人
 ボリビアのサンタクルスといっても、大多数の日本人には耳慣れない街だろう。サンタクルスの街自体は、いわば新興の産業都市であり、観光の対象となるようなものは何もない。強いて名物をあげれば、スペイン系美人が多いことと、街のセントロ(中心)の公園に住みついている数多くの野生のナマケモノぐらいなのだ。
 しかし、このあたりは、日本と南米の結びつきを強く感じさせられる土地柄である。近郊には「サンファン」と「オキナワ」と名付けられた数千人の日系人の住むコロニー(農業を主体に自立自給している集落)がある。また、サンタクルスの玄関口であるビルビル国際空港は、すべて日本の援助で建設されたもので、トイレの便器はTOTOである。サンタクルス最大の病院も同様に日本の援助で建設され、オスピタル・ハポネス(日本病院)と名付けられている。
 われわれ(私と私の友人通称ドクトル)は一九九一年と一九九四年の二回、いずれも年末にこの街を訪れた。
 一九九一年一二月二六日夜に成田を出発したヴァリグ・ブラジル航空の便は、翌二七日早朝、霧雨のサンパウロに着いた。一応ブラジルに着いたことを確認するため、昼はシュハスコ(ブラジル風バーベキュー)を、夜は韓国風中華料理を食べて、東洋人街であるリベルダージ地区で一泊。


日本病院正面

臭いお札
 翌日朝、サンパウロから二時間半のフライトでサンタクルスに到着。荷物を受け取って、がらんどうの倉庫のような空港ロビーに入る。出迎えに来てくれた友人のRが待っていた。
 Rは海外青年協力隊員の医療関係者である。さっそく、両替について相談すると、Rはポケットからよれよれの封筒を出して、私たちにボリビアの通貨ボリビアーノの紙幣を取り出して見せてくれた。どの札も手垢と汗にまみれてボロボロになり異様な臭いがする。セロテープを張りつけて修理してある札も多い。多少の汚いものは何とも感じない、というかそっちの方を好む傾向のある私も、この紙幣には、一瞬たじろいだ。Rは財布に入れると臭いがしみつくので、ずっと別の封筒に入れて持ち歩いているとのことだった。私たちは、後で町に出て手持ちのドルを両替したが事情は全く同じだった。Rのやり方に従ったことはいうまでもない。
 久しぶりに会ったRと話がはずんだ。Rもその一人だが、ここサンタクルスは海外青年協力隊員を含めて、JICAの関係者が多い。彼らはここで非常に優遇されているのだが、時として問題を起こす人間がいる。
 Rの口から、最近持ち上がった、ボリビア在住の日本人の間で知らぬ者はないという大事件の話が始まった。
(つづく)

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