2004年02月号 掲載
ガテマラ共和国
関 洋人 (大洲市在住)
私はここ十年近く、たいてい「ドクトル」と呼ぶ友人(彼は歯学部の大学院の博士課程を修了した本物のドクトルでもある)と二人で中南米を旅してきた。
中南米諸国は、カリブ海の小さな島々など数少ない例外を除き、ブラジルがポルトガル語圏である他は全てがスペイン語圏であると思って間違いない。そこで、ある時、私とドクトルは相談の結果、この地域の旅に必要なスペイン語をドクトルが、ポルトガル語を私が担当することに決めた。ところがそれ以来、のんびりと構えていた私を尻目に、もともと語学に執念を燃やす質のドクトルはスペイン語の鬼と化した。NHKスペイン語講座でだけでは飽き足らず、歯科医を開業している但馬地方の町から片道四時間近くの時間をかけ大阪のスペイン語学校に通い始めたのであった。
私たちのスペイン語学校、アンティグア、ガテマラ共和国
一九九二年の春、私は偶然に本屋で『ポコ・ア・ポコ』という本に出会った。ガテマラ在住日本人による、かなり掘り下げたガテマラ紹介の本である。そしてその本の中に、アンティグアというスペイン語学校を主要産業とする街が紹介されていた。なんと人口三万五千の街にスペイン語学校が約五十校あるとのこと。ドクトルがその話しに飛びつかぬはずがなかった。「よしこれで決まり!今度はガテマラだ」。その少し後、その年が国際先住民年ということもあって、ガテマラのキチェ族の先住民運動の女性指導者リゴベルタ・メンチュウがノーベル平和賞を受賞した。日本の新聞にも珍しくガテマラの記事が掲載されたりもしたのである。
さて、いよいよガテマラへの出発が近づき、旅行社を通じてあるスペイン語学校に何度も連絡をとった。ところが、全く応答がない。揚げ句の果てに旅行社の担当者は、「もう、つぶれてるのかもしれませんねぇ。直接行ってみるしかないですよ。ガテマラですからねぇ」と平然と言い放ったのであった。こうなれば、行くしかない。
(つづく)
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