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2003年04月号 掲載

 
イグアス 国境地帯の旅 
関 洋人 (大洲市在住)

一面瀑布のはずのブラジル側の滝はほとんど枯れていた。
 前回の挿図写真に見えたように、プエルト・ストロエスネルの街中には、迷彩服を着た兵士の姿が目立ったが、少しも物騒な雰囲気はなく、その兵士達にも靴磨きの少年が群がっていた。ところがこの時の旅から帰国して二週間たった日の朝、新聞の外報欄の小さな見出しが私の眼をとらえた。「パラグアイでクーデター」。一九五四年以来三十四年の長きにわたって独裁政治をほしいままにしていたストロエスネル大統領が失脚したことが報じられていた。このイグアスのパラグアイ側の街の名は、ストロエスネル大統領を記念して名付けられたもので、正式にはプエルト・プレジデンテ・ストロエスネルといったのであるが、このクーデターの後に、シウダー・デル・エステ(東の街)というごくあっさりした名前に改められた。
  私たちは、政変前の気配を何ひとつ感じることなく、ブラジル側に戻り、ブラジル側のイグアスの滝を見に行った。こちらは、水量の減ったアルゼンチン側より、更に水が乏しく、完全に干上がった部分が、かなりの広さになっている。しかし、観光客の数はアルゼンチン側よりも多く、アイスクリームや飲物を売る店も一つある。清潔な有料トイレもあり、番をしているおばさんに、日本円で一円ほどの使用料を渡すと、紙を一、二枚だけくれる。
  近くにあるホテル『ダス・カタラッタス』のテラスで、バイキング形式の昼食をとった。このホテルはブラジルを代表する航空会社ヴァリグ・ブラジル航空の経営であるが、外壁がピンクと白に塗られた美しい建築で有名だ。スルビン(ナマズの一種)のフリッタ(揚げもの)が美味しかった。他にスペイン風オムレツやフェジョン豆。デザートのチョコレートムース、カスタードクリームパイ、パパイヤなどの果物も食べ放題で、たくさん並んでいた。私たちはゆっくりと昼食を楽しんだ後、サンパウロに向かうために空港に向かった。

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