過去の連載記事
同じ年の連載記事
1999年11月号 掲載

 
メキシコシティ 2
関 洋人 (大洲市在住)

ソカロの雑踏
 タコスの昼食の後、ソカロ(中央広場)をうろついた。
 ソカロにある国立宮殿のパティオ(中庭)に面した広大な壁面は、全面にわたって、メキシコの過去・現在・未来を題材とした巨大な壁画で埋め尽くされ、見るものを圧倒する。
 大ぼら吹きで女好き、身長約百八十センチ、体重約百五十キロの巨体で、世界最大(最大に点)の芸術家ともいわれた壁画家デイェゴ・リベラの代表作である。
 彼はオロスコ、シケイロス、とともに一九二三年に始まったメキシコの壁画運動の中心人物で、この国立宮殿の他にも、メキシコ国立自治大学、オリンピックスタジアムなどに数多くの壁画を残している。


古代アステカ文明隆盛の描写
 リベラは二十歳になってすぐ、スペインのマドリッドに出かけた。以後十年ほどの間を、マドリッドやパリで過ごし、キュービズムの画家として評価された。パリでは画家のピカソやモンドリアン、詩人のアポリネールや作曲家のストラビンスキー、サティなど多くの芸術家と親しく付き合った。メキシコに帰ってからも、三人目の妻である画家のフリーダ・カーロとともに、アンドレ・ブルトンや、セルゲイ・エイゼンシュタイン、レオン・トロッキー、イサム・ノグチはおろか、あのアメリカの大資本家ヘンリー・フォードやネルソン・ロックフェラーと親交を結んでいる。ふところの深い面白い人物だ。
 ところで、彼はこの壁画を描いた当時、メキシコ共産党の幹部(スター)であった。ちなみに彼が描いた国立宮殿の壁画のメキシコの未来は理想的な共産主義社会(そんなものが存在するのかどうかそ知らないが…)として描かれている。
 国の代表的公共施設の壁画を現役の共産党幹部に任せたのは、不思議である。


国立宮殿にあるデイェゴ・リベラの巨大壁画。
スペイン人コルテスによるメキシコ征服の場面。
 もちろん、リべラの芸術家としての声望のせいもあるだろうが、それだけではない。メキシコ政府は一九二九年以来PRI(制度的革命党、なんと不思議な名前!)という政党の一党支配が続いている。この政権は民族主義的革命運動であったメキシコ革命をになった国民革命党の末裔で、土地改革や石油国有化をうたったメキシコ憲法に反対し圧力を加えるアメリカに対抗して、ずっと対外的には容共的とも言える政策をとっていたのである。 さらに歴史を溯れば、メキシコは一八四〇年代のアメリカとの戦争で、カルフォルニア、テキサス、ニューメキシコなど当時の領土の半分以上を失っている。北方領土なんてメじゃないのだ。PRI政府は、革命が成功し、長く政権を担う間に、すっかり保守化してしまったがアメリカに対する潜在的な敵意だけは消えることがなかったのである。
(つづく)

Copyright (C) H.SEKI. All Rights Reserved.
1996-2007