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2005年08月号 掲載

 
レシフェ(ブラジル共和国) 
関 洋人 (大洲市在住)

レシフェの町並み
 一九九五年十二月二十二日午後五時。私はその年の診療をすべて終えた。さて、それからが忙しい。まず、二匹の猫を(現在は四匹と亀一匹)動物病院に運び預かって貰う。旅行期間中の留守電を吹き込みをしてセットする。患者用、郵便物用、宅急便用の貼り紙をする。夕食後子供を風呂に入れて寝かしつけ、三時間程かかって十二月分の仕事の事務処理を終える。そして、ようやく旅の荷造りの最終チェック。午前二時半に就寝。といっても四時半には起床。朝五時、真っ暗な中を一人車で大洲を出発し、松山の妻の実家へ。私の出発に三日遅れて里帰りし、正月明けまでそこで過ごす妻と二人の子供たちの荷物を運ぶためだ。車を妻の実家に預け、午前九時半松山空港から関空へ。「きつねうどん」一杯で五時間待つ。これから嫌というほど機内食が出るのだからここで食べておく手はない。次に成田へ。待つことさらに三時間。夜七時過ぎ、やっとヴァリグ八三五便の出発だ。一年間の仕事を終え、やっと待ちに待った南米へまた帰ってゆく。そう思うと、気分はハイになってしかるべきなのに、その実、虚脱感あるのみ。これも過労と睡眠不足のせいか。日本ブラジル間の航空路はさながら一昔前の東北本線。ブラジルに向かう便の乗客は黄金の国ジパングへの出稼ぎから里帰りする日系南米人が大半。私同様、疲れ切った表情の人が多く、正月前の国際線の飛行機から連想される華やいだ空気は無い。
 二十四時間のフライトの末、翌日の朝七時にサンパウロ空港到着。ここにきてやっと気分も少し上向きに。国内線ヴァリグ三三〇便に乗り換え再び三時間余りのフライトの末、正午前に最初の目的地レシフェに到着。美しい砂浜が都心部に向かって八キロメートルにわたって続くボア・ピアージェン海岸に面したホテルに腰を落ち着けたのは、我が家を出発してから四十四時間後のことであった。
(つづく)

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