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2004年09月号 掲載

 
リオ・デ・ジャネイロ 
関 洋人 (大洲市在住)

イパネマの海岸。
後方の岩山がペドラ・ヂ・ドイス・イルモンス
 飛行機で上空からリオに近付くと、奇妙な形に凹凸した山の稜線がくっきりと見えてくる。高度を下げるにつれて、ポン・ジ・アスーカルやペドラ・ヂ・ドイス・イルモンスなどのリオをする異形の岩山が乗客にリオへの到着を告げる。半世紀以上も前から、リオは、アメリカ大陸に掛かった真珠の首飾りに例えられてきた。垂直に近い角度でそそり立つ岩山の付け根の狭い平地に、ぎっしりと立ち並ぶ高層ビル。浜辺(プライア)には一日中日光浴を楽しむ水着姿の人々があふれている。一九六〇年に、首都の地位をブラジリアに譲ってから後も、リオはその輝きを少しも失っていない。
私が最初にリオの地を踏んだのは一九八九年一月二日の夜のことである。人口百万都市とはいえ、田舎街の雰囲気が漂うアマゾン中流のマナウスからリオに向かうときに、「リオは恐いぞ、恐いぞ」とさんざんにおどされた。そのせいでもあるまいが、着いだばかりの空港で、行き交う 人々に目をやると、心なしか視線がヤバそうだ。
夜九時過ぎにコパカバーナ海岸に面したアトランテイカ大通りのリオ・オットン・パラセというホテルに入った。このホテルは値段も高く、ガイドブックには高級ホテルとして紹介されているが、とんでもないホテルだった。先ず、部屋のトイレ、バス、洗面台の水が全く出ない。フロントに文句を言うと、しばらくしてアマゾン河の水よりも濃い褐色の水が出始めた。バスタブには、先客の体毛が付着している。バスタブや手洗いに水栓がないが、排水が極めて悪いのですぐ水が溜まる。浴室の天井からは、湿気で剥げたペンキが牡丹雪のようにヒラヒラと降ってきた。鏡の下にあると言われたランドリーバッグもなく、ラジオのボリュームのつまみ が壊れてなくなっている。室内の棚には埃が堆積し、冷蔵庫を開くと、製氷室は大量の霜に占拠され、中に何かのこぼれ汁が大量に付着していた。長期間使われず掃除もせずに放置していた部屋ではなかったろうか。私の到着早々のリオの印象はこのホテルのおかげで最悪だった。
(つづく)

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