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1997年10月号 掲載

 
ラパス 
関 洋人 (大洲市在住)

ラバスの街のチョリータ
 空港から市内へ向かう。途中の峠から、眼下に言葉では形容し難い市街の風景が広がる。「山の王国の首都」、「御伽の国の都」、「月に建設された街」、ラパスの街を人はそう呼ぶ。
 ラパスの街はすり鉢の形をしており、すり鉢の底の部分に高層ビルが立ち並んでいる。そして、周囲の急傾斜地に小さく、貧しい家々がびっしりとへばりついている。豊かな人達は、最も空気の濃い低地(もっとも低い所で標高三、六三二メートル)に住み、貧しい人ほど空気の薄い高所に住んでいるわけだ。しかし、スラムに近いような急傾斜地の街並みも、全体として見れば不思議な美しさを持っている。
リオ・デ・ジャネイロの急傾斜の丘に広がるファベーラと呼ばれるスラムと同様に……。
 徐々に街なかへ降りていく。やはりチョリータの姿が目立つ。四十分ほどでラジソンプラザホテルに到着。友人のT夫妻のアパートに近いというだけの理由でこのホテルを予約した。名前は立派そうだが、実はこのホテル、二回倒産し、経営者がくるくる変わっている。そして、特にボリビア在住日本人の間では「不吉なホテル」として有名。……というのは、数年前に一人の日本人がこのホテルの一室から飛び降り自殺をとげ、その後、彼の幽霊が出るとの噂が絶えなかったのである。遂に、日本人が大勢集まって読経した。それ以来幽霊はパッタリと姿を見せなくなったというがホントかな?


ホテルの窓からの風景。1キロ四方だけ大都会
 部屋でスーツケース三個分の荷物を開くと、すでに標高二千五百メートルのコチャバンバで膨れあがっていた、「ぼんち揚げ」や、「そば焼酎雲海」のパック容器は、さらに下がった気圧のためにほとんど破裂寸前の状態。露店の一つくらいは開けそうな大荷物を前に、まるで我々は、黄金の国ハポンからやって来た食糧運搬隊だ。
(つづく)

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