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2002年02月号 掲載

 
オアハカ メキシコ南部山岳地帯 
関 洋人 (大洲市在住)

サント・ドミンゴ教会
 翌一月二日、朝五時に起床。ホテルの外の街路では“NOTICIA ! NOTICIAS!(ニュースでっせ!)”という新聞の売り子の声が澄んで乾いた空気に響き渡っている。別に何かが起きたという号外ではない。毎日のことである。隣のベッドには体調を崩したK君がまだくたばっている。私は、ドクトルと二人で朝の散歩に出かける。まず、ホテルのそばのサント・ドミンゴ教会へ。この教会は、主祭壇と礼拝堂の祭壇が全部金箔で覆われていることで知られている。出入りは自由なので、中に入ってみた。こんな早朝にもかかわらず、すでに数人の貧しい服装をした人たちが神に祈る姿があった。圧倒的に貧しい人々が、豊かな教会の黄金で飾られた祭壇に向かって一心に祈りを捧げる……。この構図は、スペイン人とポルトガ人によって征服された後の中南米では、一貫して続いてきたものであった。ところが、一九六〇年代の後半以降、中南米のカトリック界では、あたらしい風が吹き始めている。魂の救済には、同時に、貧困や人権の抑圧、社会の不正義をもたらす権力構造からの解放が不可欠であるとして、社会変革を志向する “Teologia de la Liberacion(解放の神学)”が生まれ、急速に勢力を拡大してきたのである。当初は、この勢力の中にマルクス主義に共感し暴力革命を唱える一部の急進派が存在することや、サンディニスタ政権下のニカラグアにおける聖職者の政治参加の問題もあって、バチカンとの相克が顕在化し、破門事件も起きたりしたが、今では、この解放の神学の理念と実践は、カトリック教会の中心的な課題として、バチカンでも黙認されるに至っている。
 サント・ドミンゴ教会からソカロ(中央広場)へ向かっていると、銀行の前に、一〇〇人近い人々が列を作って並んでいる。取り付け騒ぎでも起きたのかと思ったが、実は銀行振込の給料を引き出すために集まった人の列とのこと。それにしてもまだ朝の六時過ぎだ。ソカロを通り過ぎて、お目当てのオアハカのメルカドへ。メルカドの外側のジュース・スタンドで、搾りたての生ジュースを一杯。「うまい!やはりこうでなくっちゃ」とドクトルと顔を見合わせる。メリダで飲んだクリスタル印のジュースのひどい味を腹立たしく思い出した。
(つづく)

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