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2005年04月号 掲載

 
 
関 洋人 (大洲市在住)

アマゾンのインディオ
 ポルトガル植民地時代のブラジルでは、「赤道の向う(ブラジル)に、罪という言葉はない」という文句が公然と口にされた。その言葉が象徴する通り、ブラジルには、植民者が先住民インディオを虐殺し続けてきた歴史がある。ブラジルの先住民であるインディオは、豊かな自然の中で恵まれた、ゆっくりした暮らしを営んでいたせいか、インカ文明を築いたアンデス地方のインディオと異なり、決して「働き者」ではなかった。植民者たちは、「労働意識」が欠落した彼らに苛酷な制裁を加えて、自分たちの思うままに働かせようとつとめたが、決して成功しなかった。
 植民者たちは、役立たずとわかった先住民をすぐに虐殺の対象としたが、その傾向は現在まで尾を引いている。一九九〇年代には、北部のロライマ州で、金を求めて辺境に分け入ったガリンベイロ(金採掘人)とインディオの一部族であるヤノマミ族との衝突による殺人事件が頻発し、大きな社会問題となった。自分たちの目的に役立たない者たちを抹殺してしまうというのは、まったく、度し難いことであるが、この国の歴史では、植民者による先住民の虐殺という構図が暗然と今日まで続いてきた。信じられないくらいにあっけなく人の命が奪われる事件が頻発する背景には、このブラジルの植民者と先住民との歴史が重くのしかかっているといえよう。
(つづく)

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