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2005年05月号 掲載

 
 
関 洋人 (大洲市在住)

リオの子どもたち
 ブラジルのインディオが、植民者たちのもとめる労働力として適さず、奴隷として使えなかったことが、この国のその後を他の南米諸国といささか異なったものにした。と言うのは、業を煮やしたポルトガル人たちが、インディオに替わる労働力として、アフリカから何百万人という黒人たちを奴隷としてこの国に連行してきたからである。ブラジルでは現在、国民の十パーセントが黒人、四十パーセントが黒人との混血とされている。つまりブラジル人の半分は黒人の血を引いているということになる。そのせいか、ブラジルは人種差別のない国だとよく言われる。必ずしもないとは思わないが、人種による差別意識が、他の国々に比較して希薄であることは疑いのない事実である。まして、人種間の緊張関係などというものは、一切存在しない。社会階層が低くなるほど黒人の比率が高くなるのは事実だが、アメリカのような、ぎすぎすした人種間の対立は考えることもできない。簡単に言うとブラジルでは黒人を嫌う人が、あまりいないという事らしい。マスコミが毎年行うアンケートの最も好ましいブラジル人を問う項目で、常に第一位を占め続けているのは、あの「サッカーの神様」ペレである。ブラジルの上層階級の人々は、幼時から黒人の乳母に育てられ、黒人のメイドに世話をされて育つので、黒人に対して自然に親近感を抱く人が多いとも言う。奴隷制の時代から、ブラジルでは「黒人はたくましい肉体を持ち、働き者で性格が朗らか。鎖に縛られながらも、現世をおおらかに肯定する生命力に富んでいる」という、極めて「肯定的な評価」がされてきた。もちろん奴隷にされた黒人の立場からすれば、そのような評価が一面的なものに過ぎないことは言うまでもないが、中南米で黒人の存在感がブラジルほど大きい国は他にない。そして、もしブラジルにこれほど多くの黒人がおらず、混血が進まなかったとしたら、この国は今ほど活力がなく、文化的にも弱々しい「つまらぬ国」になっていただろうともよく言われるが、この国を訪れるとそれが実感としてよく解る。
(つづく)

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