2001年11月号 掲載
メリダ メキシコ・ユカタン半島
関 洋人 (大洲市在住)
ご先祖様はナポリ
パナマ帽を買ってしまった後、ふたたび街を徘徊した。セントロに近い街角のレストランの前を通りかかると、愛想のよい店の親爺が近づいてきて、われわれを抱きかかえるようにして店に誘う。店の構えはそこそこに見えた上、ちょうど用を足したかったから、ついふらふらと入ってしまった。
親爺は、わけのわからないことをすごいスピードで捲し立てながら(もちろんわれわれの語学力の問題で相手が何を言っているのか理解できないだけなのだが)さかんにソーセージやチーズの試食を勧める。私はトイレに直行した。中南米ではよくあることだが、そのトイレがおそろしく臭かった。私はあわやという思いでトイレに駆けこんだのに出るものも出なくなってしまい、おまけに鼻もまがりそう。
トイレから戻って、いちいちメニューを見るのも面倒に思え、comida corrida(定食)を注文した。四人分注文したが、出てきた品は二人分ずつ異なっていた。飯はもちろんパサパサのインディカ米で、中に豆とバナナの輪切りがまぜてある。食事の味は普通だったが、店の主人の愛想だけは超一流だった。どうもご先祖さまはナポリあたりと察せられる顔付きで、時々、われわれの席にやってきては話し掛けてくる。
ドクトルは店で働いている十八歳のウェイターをつかまえてスペイン語の勉強に余念がない。
のんびりと食事を終えてソカロに出ると、メリダ市役所の正面玄関前で年忘れカラオケ大会が開かれていた。それほど上手いとも思われない若者がマイクを離さず延々と歌い続けている。まわりの聴き手の方に目を移した。日陰に並べられた椅子に腰を下ろしてアイスクリームなどを食べながら、ゆったりと流れる時間を楽しんでいる風情である。
一時間ほど見物した後に、ホテルに帰ることにした。横道に入ったところで、前日に街頭で歌っていたグループに再会した。K君がそのグループの一人から笛を買っていたその時だった。後でK君に聞いたところでは後ろでドブンという音がしたのだそうだ。思わず振り返ると、そこにいたはずの私の姿が一瞬のうちに消え失せていた。何のことはない、私はたまたま、壊れていた下水の蓋の隙間から下水の中に転落してしまったのである。私は反射的にもがき、必死で穴をよじ登った。やっとの思いで這い出して顔を上げると、私のまわりを、グループの歌を聴くために集まった多くの人が取り囲んでいた。その人達は真顔で心配そうに私を見て、気遣ってくれた。笑う人は誰一人いなかった。運良く怪我一つしなかったが、極め付きの汚水にどっぷり浸かったため私の体に染みついた臭気は並大抵のものではなかった。同行の三人はホテルに帰り着くまで私とは、相当の距離を保って歩いたのである。
(つづく)
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