2005年12月号 掲載
関 洋人 (大洲市在住)
ルイス・ゴンザーガの記念碑
朝食後、午前九時にレンタカーを借りて、ジュアゼイロ・ド・ノルチから約八十キロ離れたエシュウに向かって出発した。
陽炎の立つエシュウへの道は意外に整備されている。この地域はセルタンと呼ばれる半乾燥地帯であるし、近年は大麻を巡っての殺人が頻発しているところなので、荒涼とした風景を予想していたが、思いのほか緑が多い。交通事故死(なんとブラジルでは毎年五万人を超える!)のあったことを示す、白や青の十字架が立ち並ぶ道を走ること一時間余りでエシュウ到着。
町の入口には、道路に面して、ルイス・ゴンザーガの記念碑が立っている。そのすぐ横の軽食堂でまず一休み。本で仕入れてきた、ここエシュウについての断片的な知識が脳裏を過ぎる。たとえば、次のような。『シセロ神父の悪口を言うと外国人でも殺される』、『シエスタ(昼寝)の習慣があり、昼過ぎには、車の往来もなく、通りに人影が絶え、時間が止まったかの感じを受ける』、『女の人口が男の二倍半で、どんな男でも複数の愛人を持っている』、『極めて排他的かつ閉鎖的な町』、『食堂は町に一軒しかなく、どんな店にも看板というものが一つもない』、『長居は無用……』。
私たちは、隣のテーブルに座っている地元客の様子をさり気なく観察した。……。彼らの様子には格別変わったところもない。私たちへの視線は「見かけないジャポネスだな」くらいの感じで、剥き出しの敵意や身の危険を感じる雰囲気は皆無である。町の様子を窺うために、店を出て、車でゆっくり町を一回りした。(三分とかからない。)何も変わったところはない。通りを歩いてみても、同様だった。私たちを見つめる人々の眼差しは、少しの遠慮とぎこちなさがまじった、ただ「見かけない奴」というだけのものにすぎなかった。
ここは少なくとも私たちにとって、表面上は豊ではないが、どこにでもある平和な田舎町としか見えなかった。怖いもの見たさで、緊張して訪れたせいか全く拍子抜けしてしまった。
(つづく)
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