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2003年06月号 掲載

 
マナウス(ブラジル・アマゾナス州) 
関 洋人 (大洲市在住)

マナウスの港の風景

シーコ・メンデスと家族。

シーコ・メンデスを殺害した親子の殺し屋「ダ・シルバ親子」 がアクレ州リオ・ブランコの監獄から脱獄し、行方が知れぬことを報じる雑誌。
一九八二年十二月三十日夜の九時三十分、我々一行六人は、アマゾン中流の中心都市マナウスに到着した。ブラジリアで飛行機の乗り継ぎに失敗したため予定時刻を九時間あまり過ぎ、疲労困憊の極といった態であった。
 近年、アマゾンの熱帯雨林破壊による地球環境への悪影響について人々の関心が高まっているが、その当時、私たちは、その事について何も知らなかったし気にもしていなかった。今になって思い返すと、私たちがマナウスに着いた一九八二年十二月には、アマゾン環境保護運動にとって悲劇的な事件が起きていたのであった。私たちが訪れる八日前、マナウスからアマゾン河の支流の一つブラス河を千二百キロメートルほど遡ったアクレ州シャプーリの街で、一人の男が殺された。彼の名はシーコ・メンデス。シャプーリに住むセリンゲイロ(天然ゴムの樹液採集人)でアマゾンの環境保護運動の象徴とも言える人物だった。素朴で誰からも愛される人柄に、強い指導力を備えた彼は、アクレ州のセリンゲイロを組織化し、エンパッチ(引き分け)と呼ばれる人海戦術で熱帯雨林の破壊を防ぐ運動に成功をおさめていた。彼は、当時シャプーリの町会議員であったが、一九八七年には国連環境計画(UNEP)から「グローバル500」(世界で最も環境保全に貢献した五百人)に選ばれたことで、名声と政治的発言力がますます高まり、ついには、次期アクレ州知事選挙の最有力候補者と言われるまでになっていた。彼の暗殺は、セリンゲイロに敵対し、熱帯雨林を焼き払ってやみくもに牧場の拡大をはかっていた牧場主たちが、彼の力がこれ以上大きくなることを恐れて実行したものとされている。彼は自宅の裏庭で、親子の殺し屋「ダ・シルバ親子」にショットガンで撃ち殺された。しかし、事件の背後関係はいまだに闇の中。事件後すぐに逮捕された「ダ・シルバ親子」もアクレ州リオ・ブランコの監獄から脱獄し、その後は再び捕まったという話は聞こえてこない。
 ブラジルの先進地域である南部の人たちは、経済的にも貧しいノルチ(北部)について「ノルチの人間はすぐ人を殺す」と眉をひそめる。たしかにノルチ(北部)は今なお法治国家というより、「バンギ・バンギ」、西部劇の世界のままと言ったほうがあたっているかも知れない。
(つづく)

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