2001年09月号 掲載
メリダ メキシコ・ユカタン半島
関 洋人 (大洲市在住)
プロレスのお面を売る店の子供
ウシュマル遺蹟からメリダのホテルに戻り、少し休んだ後、六時過ぎに、ドクトルとK君との三人で、市中に繰り出した。メリダは夜の一人歩きも安全な街だ。セントロ付近に行くと、歩道の上に開店している食べもの屋の屋台や、子どもが店番をして駄菓子を売る屋台が多い。街頭で歌いながら自分たちのカセットテープを一本五百円くらいで売っているグループがいた。娯楽が少ないせいか、黒山の人だかりだ。そして、さすがにプロレスの本場メキシコだけあって、衣料品店の店頭ではプロレスの覆面が売られていた。二〇〇円弱の顎髭のついたのを一つ購入。売り子の少女にさんざん笑われた。レコードやカセットテープ(当時CDは極めて少なかった)を売る店は店の外で聴いても五月蠅いほどの大音響で曲を流している。カセットテープの売れ筋は勝手にダビングしたいわゆる海賊版で一本百五十円位。三時間近く街をうろつき廻り、何度も道に迷った。メリダは、別名?白亜の街?と呼ばれているように、強烈な太陽光を反射すべく、街の建物のほとんどが白く塗られている。従って目印となる建物がなく、実に迷いやすいのである。したたかに腹を減らせた私たちは、あらゆるガイドブックで絶賛され、地元に人々にも是非にとすすめられた、レストラン“ロス・アンメンドロス”に向かった。さすがに混んでいる。席が空くのに三十分ほど待つ。席に座ってまわりを見渡すと、客はほとんど観光客のようだ。期待を込めて、ソパ・デ・リマ(ライム風味の鶏肉とトルティジャ入りスープ)、コチニータ・ピピル(唐辛子、アチョテ、酢で味付けした豚肉をバナナの葉で包んで蒸した料理)、ポリョ・ア・ラ・ユカテカ(ユカタン風鶏肉)等を注文。空腹は殆どその極に達していたが、料理はなかなか来ない。あまり遅いので、席を立ってボーイに催促した。そのついでに厨房をのぞくと、何と、前もって、調理済みの料理を電子レンジでチンしているではないか!全く興ざめとはこのこと。遅れに遅れて出て来た料理は、どう贔屓目に見てもことごとく水準以下の味だった。K君に至っては注文した料理がよっぽど口に合わないらしく、一向に進まれぬ様子である。「自分でたのんだ料理は自分で残さず食べろよな。残すなんてけしからん!!」と責め立てるわれわれに「これでは生き地獄だ」と半べそをかいている。
評判倒れのレストラン
食事もようやく終わりをむかえることになると、客もまばらになってきた。閉店時間が近いのであろう。デザートのアイスクリームだけは素早く持ってきた。あまりのことに、さすがのお人好しのドクトルがスペイン語で嫌味を言った。勘定は三人で二千四百円ほど。見事にだまされた!!以来、私はガイドブックのレストラン記事はあてにしないことにしている。
(つづく)
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