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2006年01月号 掲載
第 84 回 蕪ずし
 
 
 

大雪の金澤から届いた蕪ずし 
 年の暮れに大雪の金澤から自家製の蕪ずしを送っていただいた。蕪ずしは加賀金澤の正月に欠かせぬたべものである。蕪と鰤が渾然となった旨味。甘みと酸味がまじりあった微妙な味わいと、しゃきっとした歯ごたえ、すがすがしい食感が口中いっぱいに広がる。すがたも新しい年を祝う食べものにふさわしく美しい。蕪の白、鰤の薄桃色と薬味の人参の赤と柚子の黄。口にする度にこんなにおいしいものがあるだろうかと思ってしまう。 
 坂野圀子著『鯛のから蒸し』にある蕪ずしの漬け方を摘録してみる。能登の沖でとれた寒鰤を二十日ほども塩漬けにする。樽の底に良質の麹と炊きたてのご飯を混ぜ合わせて甘酒のようになるまで寝かせた「麹ご飯」を敷きつめる。その上に、包丁を入れた蕪に、塩を洗い酒に浸した鰤の切り身を一枚一枚挟んできちんと並べる。その上にまた麹ご飯を敷き、平らに均してから人参や昆布、唐辛子や柚子などの具や薬味を散らす。それを何段も繰り返す。重しを置いて寒い場所に置き漬け込んでから十日ほど発酵を待つ。
 これらの作業が寒さの厳しい冬の金澤で行われていることを南国に住む私はほんとうにはわかっていない。美味しくいただくばかりでほんとうに申し訳ないことに思う。もう十数年の上も昔のことになるが、金澤の尾山町の大友楼で女将さんの大友美代さんから、加賀金澤の詩人室生犀星から来た毎年の蕪ずしの礼状を見せていただいたことがある。犀星と親交のあった大友圭堂さんは、毎年暮れに蕪寿司を漬けて犀星に送っていた。犀星の礼状はハガキであったり封書であったりする。ある年の手紙には「きのう蕪寿司届きましたが、たいへん選ばれたもののように思われます。毎年あれをお漬けになるということは色々な思い出がおありでしょう。生きるということの祝いのようなものにも思われます。」という一節があった。またある年のハガキには「拝けい 金澤は大雪で『北越雪譜』の頃も思いやられますが、僕も子供時分から聞いたことのない大雪らしく、お見舞い申し上げます。昨年蕪鮨届きました。何彼とお礼遅れ済まなく思います。大雪前にお漬けになって、倖せに拝察しております。 漬けおへし 蕪を圧す 雪ぐもり」とあった。犀星の礼状を何枚も見せていただいたがどれも心に沁みる味わいがあった。
 新年なので、年が経ったものではあるが、そのときに撮った大友楼のご馳走や見事な塗りの弁当箱、女将さんの写真を掲載させてもらった。


大友美代さん。十数年前の写真である。開いているのは1981年元旦、司馬遼太郎の記帳。「石川門外雪白如美代」とある。美代さんは今年、八十六歳である。大友楼は、創業天保元年(1830年) 金沢市尾山町2-27 TEL076-221-0305 

大友楼には弁当箱のすばらしい蒐集がある。藩政時代のもの。 

鯛の唐蒸し、治部煮、甲箱蟹(ズワイガニのメス)、蕪ずし。 

 
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