過去の連載記事
同じ年の連載記事
2003年09月号 掲載
第 64 回 コーヒーとどじょうの蒲焼き 
 
金沢市十間町 
 

コーヒーがおいしい、店の人の笑顔がいい。なんとなくプラハにでもいる気になる店だ。
 新潟分水町の帰りに金沢に泊まった翌朝、久しぶりに近江町の市場に近い十間町の喫茶店「チャペック」に出かけた。金沢に行くときには必ず立ち寄る店である。壁にチェコの作家チャペックの写真や筆跡、挿絵の切り絵などがかけてあり、同じくチェコの作家ハシェクの小説「兵士シュヴァイクの冒険」の主人公シュヴァイクの大きな人形なども飾ってある。それらは旅行の土産物を飾るという域を遙かに越えているが、落ち着いた店の雰囲気の中にとてもよくおさまっていて好ましい。そして、なによりこの店のコーヒーのおいしいこと。すぐ裏が市場だから常連には長靴姿の市場のおじさんたちが多く、少しも気取ったところがないのもいい。東欧の文学者たちとこの店がどういう縁があるのかは一度も聞いたことがない。

金沢大学で教えていた古井由吉が東京に帰るとき、下宿の主人がお土産にどじょうの蒲焼きを持たせてくれたという 話を書いているそうだから、二日くらいは持つらしい。もっとも古井はあまりに美味くて列車の中で全部食べてし まったそうであるが。
 旅先でただ一人、コーヒーを飲んでいても、とても居心地が良い店なのでずっとかわらぬままであってほしいといつも思う。 トーストとコーヒーの朝食をすませた後、まだ人出の少ない近江町市場を歩いた。店開きの準備をしている人々の会話が飛び交う中を、カメラをぶらさげてぶらぶらと歩いた。川魚の店の店頭に珍しいものを見つけた。「どじょうの蒲焼き」である。話だけは聞いていたが不思議にお目にかかる機会がなかった。一串九十円。店頭で三本食べて、驚いた。泥臭いところが少しもない。ほんの少し小骨が口に残るが気になるほどでもない。さっぱりとしていてとても美味しい。店の人によると昔は金沢のどの町内にも二軒は鰌の蒲焼きを専門に商う店があったという。今ではもう、ほとんど見かけなくなったそうだ。どじょう自体も地元で量が獲れず、新潟から取り寄せているとのこと。それでも味がよいとほめると、どじょうに養殖はないからねとの答えが返ってきた。焼く寸前に生きたのを捌かないとだめだそうだ。
 
Copyright (C) T.N. All Rights Reserved.
1997-2012