2001年01月号 掲載
第 40 回 橋を渡って尾道ラーメン
朱華園
広島県尾道市
TEL0848-37-2077
中華そばと餃子 うまい。
古書店の女性が教えてくれたのは「朱華園」(尾道市十四日元町4-12/11時~20時木曜 第3水曜休み)と「つたふじ」
(尾道市土堂2-10-17/TEL0848-22-5578/11時~20時 火曜休み)の2軒。後日少し勉強した。ガイドブックを見たら
両店ともよく知られた店らしい。川本三郎の随筆に朱華園は作家の檀一雄が絶賛していたことも書いてあった。有名
店は食事時を少しはずした方がよいらしい。いわゆる尾道ラーメンも店によって様々だが、一般的に「尾道」で括る
と、具に豚の背脂のミンチが入っていること、そして、麺が平麺、出汁に瀬戸内の魚が使われるということらしい。
豚の背脂はこってりしているが後味はしつこくない。
尾道書房
世紀末の年末、冬休みになった息子と今治市の大浜に知人を訪ねた。もう昼を回っていたが、ふと目の前に見える来島海峡大橋を渡ってみようと思いついた。「どうする」と訊くと息子も行きたいという。いわゆるできごころである。しまなみ海道を越えて、尾道まで行き坂と寺の町を歩いて、評判のラーメンでも食べてこようということになった。
今治北インターからしまなみ海道に入り早速走り始める。運転していると今ひとつ景色を楽しむ余裕に欠けるが、商売柄、人知を尽くした様々なタイプの橋が次々と現れるので飽きることはない。渡った橋の中では広島県との県境にある世界一の長さの斜張橋、多々羅大橋がいちばん姿がいいということでめずらしく息子と意見が合った。尾道大橋を渡って市街に入ったのが三時過ぎ。私は尾道は初めてだし、街についても漠然とした知識しかない。地理にもくらい。知っているのは、尾道が瀬戸内海に面した坂と寺の多い風光に恵まれた街で、志賀直哉や林芙美子などが暮らした文学と縁の深い街だということや、小津安次郎監督の名作「東京物語」の舞台になったこと、そして「尾道ラーメン」くらいのものだ。
私は車を駅から少し離れた駐車場に止めて、少し歩いてみることにした。駐車場を出て海の方に下る道の角に尾道書房という古本屋が目に付いた。入口のガラス戸に「成人向き図書多数入荷しました」と赤いマジックで書いた張り紙がしてある。一応、店の中を覗くと、「鴎外全集」が床に積んであり、郷土史の本や文学書のぎっしり詰まった棚が見えたので入ってみた。店番をしているのは髪を淡い栗色に染めた若くてきれいな娘さんだった。郷土史の棚にひととおり目を通すと「道後温泉の近代化」などという本もある。尾道文学散歩だとか、観光案内だとかそんな類の本を置いてないかと思って店番の娘さんに尋ねてみたら、古いものしか扱っていないとの返事。ついでに「実は尾道ラーメンを食べたいのですが、どこかいいところを知りませんか」と聞くと娘さんは、店の外に出て丁寧に評判の二軒のラーメン屋さんの場所を教えてくれた。
千光寺から坂道を下る
ロープウェーからの眺め
私は息子と海岸にそった通りまで降り、教えられたとおり東に向かって歩いた。しばらく行って、どことなく古風な旅館や商店を見ながらまた山の方に道を上がると中国銀行の手前に「朱華園」という教えられた店があった。作家の檀一雄が絶賛したラーメンだという。明るくすっきりした店内は時間のせいかそんなに混みあってはいない。中華そば二つと餃子二つを入口で注文し、息子と二人で奧のカウンターに座った。客は若い女性やサラリーマン、買い物帰りの主婦など様々だ。
十分も待たずにラーメンと餃子が供された。大きなチャーシューが一枚とネギ、肉の脂身の細かくなったようなものが浮かび、メンマがのっかった尾道ラーメンは見るからにうまそうだ。息子が一口食べて「おいしいよ」と言った。私も早速、スープを一口飲んで麺をすすり込む。口中に、一瞬、記憶のある味が広がった。そうだ、麺とスープの味がチキンラーメンやカップヌードルの味によく似ている。もしかしたら、尾道のラーメンがお手本かもしれないぞと思った。というわけで、なじみのある味なのだがこくと旨味には、もちろん独特のものがある。肉の脂身のように見えたものは、チャーシューを煮込んだときの旨味が染み込んだ細かい背脂の破片だった。この背脂のミンチのせいで適度にこってりした感じもある。餃子も食べよい大きさで味も焼き方もいい。働いている店の人たちの様子も、よくありがちな知られた店の横柄さがなく感じがよかった。
子規の句碑もある
「のどかさや 小山つヾきに 塔二つ」子規
なんとなく満ち足りた気持ちで店を出て、息子と山に向かって道を上がった。鉄道の線路の向こう側に千光寺に上がるロープウェーが見えた。線路の下を抜ける通路をくぐると正面がロープウェーの駅だった。駅で案内地図をもらい、五分ほど待って息子とロープウェーに乗った。海に面した坂の町並みと寺の多い山裾の町並みが歴史を感じさせる。山頂駅から文学のこみちを歩いて下ることにした。子規の句碑や林芙美子の放浪記の碑があった。林芙美子の碑は尾道尋常小学校(現在の土堂小学校)の恩師小林正雄が揮毫している。小林は長く芙美子の教育上のそして生活上のひそかな援護者であった人であるという。
午後五時が近くなったので私たちは、千光寺に詣でた後、急いで坂を下りた。しかし志賀直哉の旧居を訪ねたときには、すでに門が閉ざされていた。また来よう。
●参考 川本三郎「日本映画を歩く─ロケ地を訪ねて」(JTB)の「尾道に残る『東京物語』」が中高年の私の旅のペースにはあっている。しかし、尾道ラーメン紹介も充実している「まっぷる─しまなみ海道・尾道」(昭文社)もなかなか便利だと思う。志賀直哉の『清兵衛と瓢箪』や『暗夜行路』、そして林芙美子の『風琴と魚の町』や『放浪記』などを読んで出かるのもよいだろう。でも、ほんとうは何も知らず、調べずにまず一度行きたい。
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