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読みたい本:
2000年08月号 掲載 
『ソニア・リキエルのパリ散歩』
 
小椋三嘉 訳
 (本体2,500円(税込2,625円) 集英社) 


 この本の訳者である小椋三嘉さんは、昨年日本に活動の中心を移されるまで、ずっと長いことパリに暮らしていた。小椋さんのパリ、及びフランスに関しての興味、探求、取材はことのほか熱心かつ精細である。そして、その対象はファッション、文学、絵画、音楽、料理、映画、演劇、建築、文化一般と実に幅広いジャンルにわたっている。
 私が雑誌『マリ・クレール』の編集をしていた時(それは90年代の前半の6年間ほどだったが)、小椋さんには数多くの企画でお世話になった。「パリ20区物語」「パリのデザイナーズ・ホテル」「パリ 秘密の散歩道」等々、読者にも大好評を得た特集の数々は小椋さんの力なしには成り立たないものであった。企画の打合わせや取材をパリでご一緒する機会が何回かあったが、小椋さんの好奇心の旺盛さと徹底した取材力には、しばしば圧倒される思いを経験した。
 そんな小椋さんが、ファッション・デザイナーのソニア・リキエルのエッセーを翻訳したのが本書『ソニア・リキエルのパリ散歩』である。
 一読、の前にまず一見、実に美しく素敵な本である。そう、この本は読む前にまずゆっくりと手に取って見る本なのである。大判縦長の変型本で、その中に数多くの、それも素晴らしい写真が収められている。さらに、その合間合間にソニアのファッション・イラストが入っていて、自由で可愛らしく女性的なソニア独自の世界を楽しむことが出来る仕組みになっている。
 そうやって、写真やイラストを隅から隅までじっくりと味わった後、おもむろに本文であるソニアのエッセーを読み出すのである。すると、一読、この本がもっともっと実に美しく素敵な本であることに気づくだろう。つまり、この本は一冊で二度も三度も楽しめる、実に美味しい本なのだ。
 本書全体は、朝、昼、晩の三部構成になっていて、それぞれの時間にふさわしいソニアお好みのテーマが取り上げられている。例えば朝なら、旅立ち、追憶、花束、散歩とか。昼なら、デジュネ(昼食のこと)、デパート、秘密の庭、サン・ジェルマン・デ・プレとか。晩なら、香り、セーヌ河、映画へのパッション、葉巻の味とか。
 いずれも、長くて四百字二枚ぐらい、短かいものだと二百字ぐらいの、詩のような断章でできたエッセーで、その短さの中に、パリの美しさ、楽しさ、素晴らしさが見事なまでに閉じ込められている。ソニアがいかにパリを愛し、パリを味わいつくしているかの鮮やかな証明でもある。その町に住み、その町に生きて、これほどまでにその町を愛し味わうことができるとは、何と幸福なことだろう。何と凄いことだろう。
 この本のさらに楽しいことは、そうしたソニアお好みのテーマが単に抽象的に語られるのではなく、それぞれのテーマに呼応するショップや施設が写真とともに紹介されていることである。
 つまりこれ一冊あれば、ソニア流の(ということは、最もパリっぽい)パリ・ガイドブックとして旅のお供にもなるということだ。詩的で、ヴィジュアル的で、しかもガイド的であるという、何とも欲ばった、そして何ともゴージャスな本なのである。

モンマルトルの洗濯船の広場   藪野 健画
 最後に甚だ私的な関心を一つ。ソニアは大変な文房具好きらしく(それは書く、描くということが好きということなのだが)、七区にある「ル・ジュール・エ・ルゥール」(日と時間、という意味)という文房具店を紹介している。そこにカラー写真が添えられていて、その店のソニア愛用のノートが写し出されている。このノートが、もう見るからに、美しいの一言。ノート好きの人間ならどうしたって手に入れたいと思わされてしまうような一品である。今度パリに行ったら、絶対に手に入れるぞと心に誓っている。

井上 明久(作家)

 
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