読みたい本:
1998年11月号 掲載
『流れる家』
片岡 文雄 著
(思潮社刊 定価2,600円+税)
「久しぶりにすばらしい詩集に出会った」と高知市の詩人、片岡文雄さんの最新詩集『流れる家』を手にしたとき、思った。今年度現代詩人賞を受賞したこの詩集は、自らの大病の体験、父、弟の死といった身近に材を取ったものばかりである。
タイトルにもなった「流れる家」は、一族の墓まいりの帰途、八十を越える老母が、仁淀川のほとりでつぶやく。
こどもの頃住んでおったのはあの辺りじゃ
大雨になると みんなあで
一間きりの小屋が流れて行かんよう
何本もロープを掛けた
しっかり椋の木に結えつけた
そうして 山すそへ走った
聞いている作者は六十歳。「いま わたしは/何処に流れ去ることもない家に座している/すると さむざむとしたものが/じぶんのなかを流れはじめた」と、老母の言葉の拠ってきたところをとらえようとする。家庭、家族、肉親、血族──は作者がこれまで繰り返し辿ってきたテーマである。今回も父、母、弟といった家族や定時制高校の生徒達などが登場、すべてが実体験から来ているが、体験の底から何かをすくいあげようとする姿勢はきびしく、対象を透視していく。
作者は「かぎりなく私的な材料にのめりこみながら、人間の心の普遍へと突き抜けていくものを、ぼくは構想していたのでした」と語っているが、現在、希薄になってしまった人の死生観がしみ入るように伝わり、その肉声まで響いてくるようだ。肉親を描きながら、甘さや情の世界にとどまらないのは、終始一貫自らの内面を凝視し、暴こうとする作者の強い視線であろう。
三十三編の中でもひときわ心を打つのは、癌でなくなった弟、幹雄さんの死を題材にしたもの。「蟻」という作品がある。「動けなくなったあと頬に一筋涙を伝わらせた/おまえの面影はもういい/春の雨にぬれる庭が映る窓の枠を せめて/一匹の蟻となって渡ってはくれまいか。」哀切極まりない最後の一行だ。言葉はみごとに高い放物線を描いて着地する。
片岡さんは、高知県伊野町の生まれ。学生時代一時上京するが、帰郷後は三十七年間公立高校の教職を勤められ、九四年退職された。すでに十三冊の詩集があり、小熊秀雄賞、地球賞を受賞。土佐弁の方言詩、詩の朗読でも全国的に知られた存在。「仁淀川」という短い詩がある。
ロルカは言った
わたしが死んだら
ギターと
一緒に埋めておくれ
できることなら ぼくは
こうお願いしておく
ここから見降ろす
仁淀の水を ひとしずく
滴たらせてほしい。
生まれ故郷の伊野町を流れる仁淀川、高知市を河口とする鏡川。平行するように肉親、血族の血の流れがあり、作者は頑固にそのへりに佇み、発する言葉には胸を打つものがある。
井崎 外枝子 (詩人・金沢市在住)
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