読みたい本:
1999年03月号 掲載
『郷愁のモロッコ』
エスタ・フロイド/小野寺健訳
(河出書房新社 本体1,700円+税)
超大ヒット映画「タイタニック」でいちやく世界のトップ女優に仲間入りしたケイト・ウィンスレットは、華やかな注目を浴びている最中に、全く無名の助監督と電撃結婚をして世間をアッと言わせたが、そのお相手と出会ったのが、彼女の最新主演作「グッバイ・モロッコ」(ゴールデン・ウィークに公開予定)の撮影中のことだった。そして、ウィンスレットが十代のころ、クリスマス・プレゼントにもらって夢中になって読んだのが、この映画の原作となるエスタ・フロイドの『郷愁のモロッコ』である。
著者のエスタ・フロイドは一九六三年にロンドンに生まれ、彼女の二十代の終り、一九九二年に刊行された本書は作家としてのデビュー作である。そして出版と同時に大きな反響を呼び、ベストセラーとなった。第一の理由に本人の体験を基にした作品内容の素晴らしさがあげられるのは当然として、彼女のまわりを綺羅星のごとき有名人がとりかこんでいたことも話題に一層の拍車をかけることになった。何と言っても、彼女の曾祖父にあたるのがかの偉大な精神分析学の創造者ジークムント・フロイトだった。そして父は有名画家ルシアン・フロイド、姉のベラはこれまた有名なファッション・デザイナーだったのだから。
物語はヒッピー全盛の一九六八年、小説の語り手である五歳の女の子と、その姉で七歳のビーは、ヒッピーの母親に連れられてロンドンからモロッコへと渡る。その結果、右も左もわからないような幼い姉妹は、突然、昨日までの生活とはかけはなれた全くの異文化のなかへ投げこまれることになる。
自分の生き方を真摯に求めるあまり、求道的に宗教への関心を深めてゆく若い母。その母親に導かれ、振りまわされながら、必死に生きてゆこうとする幼い娘たち。母と娘であるがゆえに、愛情も反撥もひとすじなわではいかない。ましてやこの場合、娘たちの方はまだホンの子どもなのだ。もっと甘えたいし、もっと楽な暮らしがしたい。けれど母の道はそんなところにはない。健気にも幼い姉妹はなんとかしてそれを受け入れようとする。どっちが大人かわからないようなこの母娘の関係はの大いなる運命のような、絶対的な肯定感に包まれているような気がしてくる。
※写真は映画「グッバイ・モロッコ」より提供/KUZUIインターナショナル
それにしても、モロッコへの旅に若い母親がたずさえる二冊の本のうち、自分のための一冊が『易経』であり、子どもたちのための一冊が『不思議の国のアリス』であるというのは、あの時代を知っている者には、なんともシンボリックな書物であることかと、ひどくノスタルジックな気分に誘われる。本書は、世界のいたるところにヒッピーが生れ、ビートルズの四人がインドの山奥に聖者をたずねていったそんな時代を、いたいけな子どものピュアーな目から描いた、心やさしい小説でもあり、貴重な証言でもある。
井上 明久(作家)
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