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1997年10月号 掲載 
『天才警部とアル中探偵を友に』
ミステリー特集 

  


 ミステリー小説の分野は、国内もの、海外ものを問わず、百花繚乱の様子を呈しているが、その中で、再読三読に耐え、時間という厳粛な篩にかけられてなお生き続ける作品は数多くない。ミステリー愛好家なら、そうした作品に出逢うことを夢見つつ本を選ぶものだし、その結果、これぞと思う傑作のいくつかをそれぞれ所有しているだろう。ここで、僕が取り上げる二つの作品(シリーズ)は、個人的な愛着は勿論だが、客観的な評価から言っても、ミステリー史上に永遠に残ることは間違いないものだろう。


 一つは、イギリスの作家コリン・デクスターが生んだモース主任警部シリーズの記念すべき第一作『ウッドストック行最終バス』(ハヤカワ文庫)であり、もう一つは、アメリカの作家ローレンス・ブロックが生んだアル中探偵マット・スカダーのシリーズの五作目で、日本での翻訳デビュー作である『八百万の死にざま』(ハヤカワ文庫)である。
 この二つはすべての点において極めて対照的であり、そこにミステリー小説の幅の広さと奥の深さがあり、それでいてどちらの作品からも人間の哀しさと輝きがいきいきと伝わってくる。
 デクスターが描くモースの世界はイギリス伝統のパズル小説(本格謎とき)だが、普通のパズル小説とは趣きが大いに異なっていて、天才モースがその天才にふさわしい実に突飛な仮説で(時には妄想に近い)次々と推理し、それが見事なまでにすべて間違っていて、最後にやっと正解にたどり着くという、論理の迷宮のようなスタイルで出来ている。そして、天才的頭脳しか思いつかない発想がユーモラスな笑いを誘う。
 一方、ブロックが描くスカダーの世界はアメリカが生んだハードボイルド小説だが、これほどネクラな主人公も珍しいだろう。警官時代、あやまって幼児を殺してしまい、そのため警察を辞め、離婚てゆく中で事件と出逢うことになる。このシリーズの妙は、事件の謎を追うメインストーリーの面白さもさることながら、直接それとは関係ないサブストーリーとして、大都会ニューヨークの喧噪と感傷と虚無がそこに生きる名もない人々を通して点描される点にある。まるで、本当はニューヨークという都会が真の主人公であるか の如く。
 その対照で言えば、モースの主な活躍の舞台となるのは、静かで歴史的な大学都市オックスフォードで、この町の魅力をデクスターは隅々まで描き出してくれる。優れたミステリー小説は勝れて都市小説であることを、どちらの作品もが証明している。
 モース・シリーズは現在十一作まで(ハヤカワ・ポケミスとハヤカワ文庫)、スカダー・シリーズも同じく十一作まで(ハヤカワ文庫、二見文庫、二見書房)刊行中。一度友となったら、現実の友人と同じように、ずうっと長くつきあっていける点で、シリーズものは人生に似ている。



文庫で読む ミステリー・ベスト5
(過去1年以内に刊行されたものより選ぶ)
井上 明久 選

海外篇 (1) 『死の蔵書』ジョン・ダニング(ハヤカワ文庫)
(2) 『ヴェネツィアで消えた男』パトリシア・ハイスミス(扶桑社文庫)
(3) 『贖いの日』フェイ・ケラーマン(創元推理文庫)
(4) 『死因』パトリシア・コーンウェル(講談社文庫)
(5) 『手負いの森』G・W・フォード(ハヤカワ文庫)
日本篇
(1) 『キッド・ピストルズの冒涜』山口 雅也(創元推理文庫)
(2) 『いまひとたびの』志水 辰夫(新潮文庫)
(3) 『日輪の遺産』浅田 次郎(講談社文庫)
(4) 『上海無宿』生島 治郎(中公文庫)
(5) 『暗黒旅人』大沢 在昌(角川文庫)


井上 明久 (作家)

 
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