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読みたい本:
1999年11月号 掲載 
『奥の横道』
 
赤瀬川 原平 著
 (日本経済新聞社刊 定価本体千八百円+税) 

 赤瀬川原平は、歳とともにどんどん面白くなり、ますますパワフルになっている。この人の手にかかると、ボケも優柔不断も立派に「老人力」や「あいまい力」に格上げ(?)されてしまうのだから、おかしい。これは、発想の転換、などというものではない。ものを観る目がどこまでも正確で、どこまでも澄んでいるからに他ならない。ものの表面を覆っている、とかく目につきやすい代物の奥に、無理せずにスッと入っていく視力を持っていて、しかもそれを大上段に振りかぶらず、サラリと横へ一歩ズラす遊びごころを兼ね備えてもいる。憎い人だ。  本書は、「日本経済新聞」の日曜版に、一九九七年四月から一九九九年三月まで二年にわたって連載されたもので、一篇は四百字で四枚のエッセイと一点のモノクロ写真から成っていて、全百一篇が収録されている。  まずは軽くサラッと読めて、フム、ナルホドとうならせる。それから、文章に添えられた写真を見て、ホノボノと、時にはニヤリとする。一粒で二度オイシイ、そんな本だ。 例えば、「自分の荷物」という一篇。ある日食観測ツアーの折、物凄い量のカメラ機材を山のようにかかえた若者がいて、結局彼は日食までに全部はセッティングが間に合わなかったということに触れて、「たくさんお金があって欲しい物をたくさん買うのは勝手だけど(略)ふつうは何か生業についていて、そこで何らかの歯止めがかかるものである。そのことにふだんは不自由を感じたりするんだけど、しかし歯止めなき自由というのをじっさいに見ると、何か空恐ろしいものがあるのだった。」  そう、ぼくらはふだん歯止めなく遊べたり、歯止めなくお金を使えたら、どんなに楽しかろう、面白かろうと思ってしまう。そして、それができない自分に不満やいらだちを感じたりする。しかし、そうではないのだよと原平さんが言ってくれると、フッと心が軽くなる。歯止めがかかるからこそ何かをすることができるのであり、歯止めがなくなればただ野放図に際限なく広がっていくだけで、そこには達成感も満足感もないのだから。  あるいは、「基本に戻る自転車」という一篇。自転車やカメラや時計など、機能やスタイルに様々な改変が加えられたが、結局、使う人間にとって落ち着くところの形というものがあるということに触れて、「はじめは変速ギア式にしていたが、登り坂はどうやったってきついのでふつうに戻した。道具は便利がいいんだけど、便利さに頼ってしまうとどうもいけない。」

 こんな本質的で大事なことを、こんなふうにスルッと言ってしまうことの凄さに、ぼくらは深く想いを至さなければならない。
 旅先の裏町、古いカメラ、忘れられた看板、路上の犬猫、こわれた家など、作者の視線が追うものは天下の大勢に影響のない、どうでもいいようなものばかりだが、そういうものにこそ人生の味とコクがあるというものだ。

井上 明久(作家)

 
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