2005年04月号 掲載
天赦園の石
池と春雨亭(はるさめてい)
春雨亭の床の間背後の両開きの襖壁を開くと、天赦園の有名な「池を跨ぐ藤」が見える。藤の向うには、三尊石の据えられた蘇鉄の築山があり、茜色に染まった夕空を背景にして眺めることができる。蘇鉄は仏の象徴木と言われ、庭の西端の築山は西方浄土を表現しているという。
子持石
庭の西端の蘇鉄山に配された子持石。表紙に載せた東の端の子持石と結ぶと庭の中央を通る軸線が引ける。「子持石」という名の子々孫々の繁栄を思う目出度さに加え、石の中央の球形が独眼竜政宗の眼光を思わせる。
天赦園は、庭に込められた作庭者の思いやストーリーを想像する楽しさが溢れた庭である。特に南御殿のあった芝生広場の南側に沿って展開する「枯流れ」の景色は、興趣が深い。
一年ぶりに訪れた天赦園は、隅々までいちだんとさっぱりして明るくなっていた。それは、時代の新しい粧いが加えられて、陰翳が薄らいだということでもあろう。しかし、それでも、この庭には歴史を語り続ける変らぬものが確かにあって、庭を一巡して帰る頃には、やはり来てよかったという気持ちになった。
天赦園の碑
天赦園は幕末の慶応二年に作庭された。字は能筆家として知られた春山の書。
形が「馬上少年過ぐ」に因んだのであろうが、仙台の木の下駒や会津の三春駒など東北地方の馬の玩具に似ている。元は入口に置かれていたが、東宮時代の昭和天皇が来駕された際に「天赦」は不敬と遠慮して今の場所に移された。
烏帽子型の手水鉢
内側に見事な線刻で鯉が描かれている。編集後記のところに載せた手水鉢も場所が移された気がするが、天赦園には美しい手水鉢が、各所に巧みに配置されていた。
虎吠石(左)・起牛石(右)
枯流れの中ほどには、政宗が戦乱の世を送った戦国時代に割拠した群雄を思わせる奇岩や巨岩が配されている。
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