2002年10月号 掲載
佐賀町食糧ビル
九月三十日の朝日新聞の文化欄に「現代アートの発信地、取り壊しへ」という見出しの記事が掲載された。映画やテレビのロケに多用され、実験的な現代アート表現の場所として長く活動を続けた「佐賀町エキジビット・スペース」などがあった東京都江東区佐賀の「食糧ビルディング」の取り壊しが決まったことを惜しむ記事であった。食糧ビルは、昭和二年(一九二七年)に建てられた元は「旧東京廻米問屋市場(いわゆる米市場)」の建物である。したたかな商人たちが米相場を張っていた空間であるにもかかわらず、煉瓦タイル張りの外壁とアーチ窓、イスラムのメドラセ(学院)を思わせる中庭と回廊など、魅力的な外観と豊かな内部空間を持ち現代の機能一辺倒の味気ないビル群とは明確な一線を画している。
来年早々、取り壊される佐賀町食糧ビルディング。
中庭ではコマーシャルフイルム撮影のためのレールが敷かれていた。
竣工昭和2年(1927年)。
設計渡辺虎一、施工中島組。
今年11月16日から内外の作家約35名が参加し、記念の現代美術展が開かれるという。
先日、その食糧ビルの一室を借りて設計事務所を開いていた先輩が今度の取り壊しで引っ越すことになり、記念の写真を撮りに出かけた。寡作な建築家として知られる先輩は、古いビルや住宅をすみこなすのがおどろくほど上手な人である。しかし、何年か前に食糧ビルの事務所を初めてたずねたときはほんとうにびっくりした。天井の高さが四メートル近くはあるだろうか。白いペンキを丁寧に塗り直した壁が心地よく、建築模型や建築書が整然と所を得た室内の製図椅子に腰掛けて、縦長の窓から中庭を見下ろしていると、どこか西欧の町の古いビルの中にでもいるような錯覚さえおぼえたものである。引っ越しがほとんど終わって、がらんとした部屋でさえなんとなく味がある。
ビルはどんどん更新される。老朽化と経済的な理由での取り壊しに感傷を抱くのは愚かなことである。しかし、われわれが、機能
と容積以外に、食糧ビルを超える個性的で豊かな空間を、同じ場所につくることができない時代を容認しているということだけは銘記しておく必要がある。空室の目立つ、顔のないビル群に覆われていく東京の町を歩いていると、今の時代が追い求める効率とはいったい、誰のためのもので、何になるのだろうかという思いにとらわれる。
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