2000年10月号 掲載
吉田町界隈から宮野下へ
吉田町東小路の武家屋敷岩村家
藪野 健画
吉田町から三間町宮野下へは十本松峠を越えればそれほど遠い道のりではない(伊予細見の地図参照)。吉田は伊予吉田藩三万石の政治経済の中心地として三百五十年ほど昔に、埋立てで急造された陣屋町である。町人町のグリッドの町並みはほぼそのままに保たれているほか、わずかではあるが、ところどころに武家屋敷も残る。三間町は吉田藩の穀倉地帯。その三間と山越えで結ぶもっとも開けた道がこの十本松峠を越える道だった。
武左衛門一揆の小説「重い雨」にもしばしば十本松峠が登場する。例えば樽屋与兵衛娘およしの弟への手紙に「去る三日、十本松峠越えに是房村の善六殿を訪ね候いしに……」などとある。
宮野下の三島神社
石段を上がって風格ある社殿に参拝し左手にまわると、かわいらしい目をした神馬(しんめ)がまつられていた。
三間町宮野下
獅子文六の「大番」の名を付けた銘酒の看板が下がる造り酒屋
三島神社の隣にある白業寺には武左衛門一揆の6年前に重い年貢に喘ぐ百姓たちを救うため、宮野下の庄屋の樽屋与兵衛と、ともに立ち上がった三島神社の神官土居式部の墓がある。ともに獄死し、逆賊として家督を没収されたと言うが、墓は同士の町役たちが造ったものといわれる。「重い雨」は、およしという樽屋与兵衛の娘を安藤継明が引きとって養育するというストーリーになっている。
樽屋与兵衛の墓
山門の横に東向きに置かれ、法名は「竹翁宗賢信士」。
三間町戸雁の収穫風景
土居式部の墓
墓は二基あり、「正山義直社主」と刻まれている
能寿寺のお地蔵さん
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