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2001年06月号 掲載 

梼原点描 
那須家の門 
 

移築された那須家の門

那須邸跡


掛橋家。
茅葺きの旧邸はすぐとなりの吉村虎太郎が庄屋時代に住んだ家のあった敷地に移築されている。掛橋和泉は志士たちを支えるために家財を惜しまなかったために、義母に責められて自決した。
 高知から丸一日かけて檮原に着いた龍馬と沢村惣之丞は、那須俊平、信吾父子の家に泊まり、夜を徹して痛飲したという。その邸と道場の跡が脱藩の道の下に、父子の墓が少し上がった山裾にある。那須信吾は龍馬脱藩の翌月土佐藩参政吉田東洋を暗殺し脱藩、天誅組に加わって奈良で闘死し、父の俊平もその二年後に脱藩、蛤御門の変で戦って死んだ。「木下闇(このしたやみ)の中にあって苔までが冷たかった」父子の墓に参った司馬遼太郎は「この夜、酒を飲んだ主客四人は、ことごとく非業に死ぬのである……幕末がいかに大変な夜であったかを、この檮原の那須家墓地は物語っている」と書いている。
 邸跡のすぐ下を走る国道の下の民家に那須家の小さな門が移築されていると聞いて訪ねてみた。邸を取り壊した時に譲り受けたものという。那須家の門であると確かめたわけではないが、移築の場所といい、門の大きさといい、ちょうどぴったりの関係にある。私は、龍馬も沢村惣之丞もこの門をくぐったのであろうと思った。門だけでも残されたのはなんという僥倖だろう。


移築された掛橋和泉邸

那須父子の墓

 
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