2000年11月号 掲載
チェコとアメリカとフランスの巨匠に出逢える
北宇和郡広見町役場
庁舎3階議場部分の三角屋根
ステンドグラスのように、色ガラスを入れた小さな丸窓が配されている。
屋根の形を見ているとライトの自由学園明日館などを思い出す。
広見町役場の庁舎(昭和三十三年十二月完成)は、チェコ系米人の建築家アントニン・レーモンドがつくった設計事務所の作品だ。広見町(旧三島村小松)出身の建築家中川軌太郎(なかがわのりたろう)がレーモンド設計事務所の社長を務めていたことが縁となり、庁舎の設計監理は社長の中川自らが担当することになった。
鉄筋コンクリート打放しの三階建、延べ床面積は一七五一、七五平方メートル。中央右寄りに、三角形の屋根が載り、その破風には色ガラスの入った小さな丸窓がステンドグラスのように配されている。中川は町が出した「民主主義社会の役場」、「公衆の使いやすい役場」という二つの抽象的な要求に応え、町議会の議場を建物の最上階中央に置き、町民の利用度が高い一階中央ホール周辺にはカウンターを設けて役場職員と住民との親密な接触を図ったという。
中川が愛する故郷のために腕を振るったこの庁舎を見ると、建築家中川の血とも肉ともなった近代建築の巨匠たちの作風を感じとることが出来て興味が尽きない。
ステンドグラスのように置かれた丸窓
先ず中川の師、アントニン・レーモンド。チェコに生れてプラハで建築を学んだ後に渡米、フランク・ロイド・ライトの事務所に入り、帝国ホテル建設のスタッフの一人として大正八年に来日した。が、工事途中でライトのマンネリズムと衝突して袂を分かち、日本にとどまって設計事務所を開いた。レーモンドは、大正十三年にインターナショナルスタイルの先進的な自邸を建てた(藤森照信『日本の近代建築』)が、この庁舎の箱型の庇やむき出しのコンクリートなどを見ると、レーモンドの自邸によってはじめて日本にもたらされた「国際近代建築」の系譜を確かに感じることができる。
そして、レーモンドがけんか別れした師のライト。この庁舎の正面に立ち、水平方向に延びた構成や三角屋根の形などにライトの旧帝国ホテルや自由学園明日館などのデザインを見て取るのはそれほど難しいことではないだろう。
箱型の庇、むき出しのコンクリート
中川は工学院大学建築科を卒業して、昭和二年にレイモンドに師事した。若い中川が入所したばかりの頃のレーモンド設計事務所には、レーモンドと同じくチェコ人のフォイエルシュタイン(フォイエルシュタインについては藤森照信著『建築探偵奇想天外』朝日文庫にくわしい)という建築家がいた。フォイエルシュタインは大正十五年に来日する前には、フランスのパリにいて、ル・コルビジェの先生でもあったオーギュスト・ペレの設計事務所で働いていた。ペレは、コンクリートの骨格を大胆に誇示する近代建築のパイオニアともいうべきデザインを始めた人として知られる。建築探偵の藤森照信先生はペレの作風が、フォイエルシュタインによってもたらされ、レーモンド設計事務所の作風が大きく変化したと書いている。
中川の師のレイモンドはもちろんとして、ライトの影がちらつく広見町役場庁舎には、コンクリートにこだわったル・コルビジェの先生ペレの面影もまた見て取れるかもしれない。
この庁舎のデザインは完成後四十年を越えた現在も本質的に新しい。故郷の期待に応えた中川の心意気がうかがえ、中川が建築家としてのキャリアをつんだレーモンド設計事務所に脈打った近代建築の巨匠たちの鼓動を聞くこともできる。
中川はこの庁舎の設計の後も、三島小学校の体育館の設計監理を無償で引きうけるなどして故郷につくした。松山の伊予鉄会館も中川のレーモンド設計事務所が手がけた作品だという。
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