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2003年02月号 掲載 

旧湯築小学校職員室」 
松山市道後 
 

旧湯築小学校職員室。不詳。
明治中期以降大正末の間であろうか。ご教示を得たい。
 何年かぶりに朝一番の道後温泉に出かけた、その帰りに、道後公園に寄り道をした。 本館前の通りを、湯神社の丘にそって、まっすぐ西に歩いていく。 温泉の駅から伊佐爾波神社に登る道を横切ると、少し先で子規記念博物館前に突きあたる。 私たちが小学生だった昭和30年代後半には、ここにたしか「新温泉」という道後温泉本館を少し略したような、木造の建物があった。 公園は最近、史跡公園として整備され、真新しく、整えられた感じがするが、一茶の句碑や、一遍上人ゆかりの湯窯薬師、 湯月城跡の丘に登る道の雰囲気などは昔と少しも変わらない。その頃には、砥部に移る前の動物園がこの公園の西側一帯にあった。 小さい動物園であったけれど、ライオンも虎もキリンもニシキヘビもシマウマもいた。5月の子どもの日にはライオンの子供を抱かせてくれたりもした。 そんなことを思い出しながら、城跡の丘の南側の中腹を通る遊歩道を、公園前の停車場の方へ向かって歩いた。 動物園の後には、河野氏の居城としての景観を想像しやすくするために、土累や中世の武士の居館らしきものが復元してあった。 しかし、なにぶん早朝のことであり戸は閉ざされていて、人影がない。建物に近づいてのぞき込んでいたら、突然テープの女の人の声がした。 開館時間を知らせ、退去を促す内容だった。

道後の湯月城跡史跡公園

湯釜薬師
 私は足早にその場を離れて公園の外に出た。 電車通りに出ると停車場の向うに時間が逆に戻ったかのような家並みの連なりが見えた。 しかも右端に白い、美しい洋館がある。道路を渡ってその洋館に近づいた。 書道塾の看板があり、左手には小さな寺があった。ちょうど右手の民家からお年寄りが出てこられたので、少しお話を聞くことができた。 この洋館は、今はコーノというスーパーマーケットがある場所にあった道後村時代の湯築小学校の職員室だという。 小学校が合併され、役目を終えた職員室の建物がこのお寺の敷地に移されたのであった。 それが、昭和3、4年のことであるそうだから、建物は明治の中頃から大正の初めのいつかに建てられたのであろう。 今は水利組合が管理しているそうだ。お年寄りは湯築小学校の先生をされていたとのことである。 「少し前までは、この玄関に差し掛けもあったし…。貸すときに中も改造して、サッシにして、もう何の値打ちもありません」。 昔の建物の美しい姿が目に焼き付いておられるのであろう。お年寄りの無念の思いが伝わった。 しかし、この元小学校の職員室として使われた建物はそれでも美しい。 たしかに、年老いて、ところどころ、皺がふえたり、不具合も見えるが、子供たちのために、洋風の形を在来の技術で咀嚼して作り上げた、 当時の職人や大工の心意気がはっきりと感じ取れる。

道後公園の電停界隈。
 道後温泉に向かう電車に乗って、 公園の停車場を過ぎるとすぐ左手の車窓にこの建物が見えるのに気づいたら、 きっと誰もが息をのむに違いないと思う。
 
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