結 末
前回の愛媛県歴史文化博物館についての雑文「怒りの日」の出来事について、その後、いろいろなことがあった。最終的に教育委員会から私への長い「お詫び」の文書が届いた。
友人たちからは「さもありなん、しかし、無駄だから相手にすべきではない」という忠告を多く受けた。夏の休みで帰省し、南予をたずね、一緒に歴博に足を運んだ友人たちも同様のことを言い、建物の立派なことに驚いて去った。
そのまま、ホコをおさめればよかったのだが、思い直して、紀要論文の誤りも含め、展示の趣旨やあやしさを学芸課長に質してみた。歴史博物館の対応に変化は全くなく、のらりくらりの人をくった慇懃無礼な応対に終始した。
会期が終って一月以上たった頃、ようやく、歴史博物館で担当学芸員と学芸課長に当方が指定した史料を用意してもらった上で、対面した。こちらも関係専門書の必要部分を念のためにコピーして持参し、今回展示の問題点についての私の意見を申し上げた。様々な問題点を質したが、なにせ、会期が終って現物がないだけに、いかにももどかしい話になった。
歴史的視点の欠如や、不正確さについて、ある程度はご理解を得られたと思う。学芸員として専門家のプライドがあるせいか、率直に誤りを認めることが出来ず、無駄な時間が過ぎた。自分たちの展示や紀要論文を、質や内容の低さと無関係に、実績として誇示し、守りたいという意識ばかりが先行し、対象になった史料についての敬意が感じられなかった。私は、彼らの話を聞いていて、予想以上の学芸組織のいいかげんさに驚き、あきれた。私の如き市井無頼の徒が専門家と話すのであるから、多少の準備はしていたが、彼らの意識は、はるか手前にあった。結果的に、私にとっては、何の意味もない時間であった。
さて、歴史博物館の監督指導部署である愛媛県教育委員会から担当課長名の「お詫びの文書」である。今回の件について、教育長の指示も仰がれたようであるから、内容は教育委員会の公式見解であろうが、私には、物足りない内容だった。
先ず、歴博の学芸課長と担当学芸員の不誠実な応対、コミュニケーション能力の欠如による初手の私への対応が問題を大きくさせたと結論付け、今回の展示が何故、歴史意識と正確さの欠けた、粗忽杜撰なものになったのかということについては、多忙による、交代前の館長と学芸課長の事前チェックの不充分、交代後の館長のチェックミスなどをあげ、テーマ展は学芸員の個人研究の成果を発表する場と位置づけているために組織的な対応が出来なかったという理由もあげている。全てが館側の不誠実さによるものであるから、今後は反省して真摯に組織的な対応をして行くというのである。
教育委員会は、教育を行う立場から、組織の仕事の機能の面でしか、博物館のサービスを理解出来ていないことが図らずも明らかになった詫び状であると思う。博物館の公開展示は利用者のためにあるのであって、いやむしろ、展示、発表という行為は来館者を意識し、内容に責任を持ってこそ行い得るものであるという目的意識が欠如している。もちろん、展示をするのは彼らの仕事である。私も誤を指摘した時に、学芸課長に「そんなに言うのなら、あなたにこの展示が出来ますか」と言われた。仕事なら、形さえ整えれば、いいという態度であった。これはコミュニケーションの「技術の熟練」の問題ではない。
教育委員会と愛媛県歴史文化博物館に、利用者を主体とする視点が欠如していることに問題があるのである。サービスを提供する側だけの視点で見がちであることは、利用者である県民を数に還元して見ていることでもわかった。二度お会いした館長はアンケートで来館者の感想を把握しているといわれた。アンケートの内容がどれだけ不充分であるか再考されたいと思う。さらに、指定管理者は、経営上、貸し館に力を入れ、どんな催しかは問わないが、営利目的の催しを開く会社にも門戸を開いている。館と無関係の催しへの来場者も、館の展示への来館者も共に入館者数として勘定し、数の「増加」を実績として揚言されていた。
今回の展示や紀要論文の誤りは、学芸員が、正確な史料の蒐集調査、読解、その成立の研究、信憑性の判定、他の史料との照合、史料の持つ意味の特殊性と共通性との分析、史料の立証力の強弱と限界の認定等々の仕事の順序を疎かにした結果起きたことである。経験能力は相対的なものであるが、組織的仕事には絶対基準の最低値がある。学芸員として採用している基準がある筈である。今回の館長と学芸課長、担当学芸員の仕事は、平均点にはるかに及ばない。組織が機能不全におちいっているか、そもそも組織が名目上でしか成立していない。無責任で、緊張感がないのだ。彼らは、本来は私にではなく、県民に詫びるべきだろうと思う。
詫び状にはこうある。「教育委員会としましては、「教育委員会の指導監督や協議会が形骸化していないことを見せてください」との御提言を重く受け止め、歴博の全職員が共通認識のもと研鑽に励むとともに、今後の館の運営につきましては、博物館協議会や学識経験者等の御意見もいただきながら十分に検討し、改善に努めて参りたいと考えております。」
このような歴史文化博物館の対応だけに集約した指導や監督で、現在のままの学芸組織が誠実ささえ発揮すれば、現在胚胎している問題点が改善されるものかどうか、一抹の不安を感じざるを得ない。現館長の前職が教育委員会の詫び状を書かれた課長職であるそうだ。立場がかわったからといって認識がそれほど激変するとも思えない。指導監督が形骸化しないようにお願いしたいものだと思う。
わたし個人へのお詫び文を、教育委員会の個人情報についての教育委員会の失態についての釈明とお詫びの内容についての部分を削除して掲げる。 お詫びのはじめに、この度とあるのは6月10日に会期が終った表記のテーマ展についてのことであり、この文書をメールでいただいたのは8月27日のことであった。長い時間が過ぎた。
教育委員会からのお詫び状
拝啓
このたび、テーマ展「伊予の文人―藩校と教育者―」に関する歴史文化博物館の不誠実な対応により、大変御迷惑をお掛けするとともに、多大な御心配をお掛けしたことに対し、同館を所管する教育委員会として、改めて深くお詫び申し上げます。
まず、来館者への基本的応対の問題として、学芸員が、資料等を介して、あるいは来館者との直接的な対話等において高いコミュニケーション能力を有することが求められているにもかかわらず、学芸課長及び今回の展示を担当する学芸員は、応対の基本姿勢が欠けていました。
これは、学芸員が多様な博物館活動を推進するために重要な役割を担っており、博物館活動の中核として位置づけられているという基本的な認識が低かったことに起因するとも言えます。
具体的には、テーマ展「伊予の文人―藩校と教育者―」に関する御指摘について、5月25日と26日に、担当学芸員が不在だったとはいえ、学芸部門の責任者である学芸課長が、依拠資料を確認せず、「林玄仲は宇和島藩医の林家とは違う林家ではないか」と、指摘の内容を十分理解、確認しないまま誤った回答を行い、再度尋ねられた際にも同様に回答し、後日、誤りを認めるという間違いを犯しています。
学芸課長としては、自分の認識にあいまいな部分があるならば、直ぐに担当学芸員に説明を求めるか、あるいは論拠資料等の現物を示すなどすれば、今回の問題の大部分は早期に解決していたものと考えています。その場での御回答を求められていたとはいえ、見解の相違だけで片付けようとして、確認作業を怠り安易な対応をしており、一連の不誠実な対応の根っこは、この初期対応にあると認識しております。
担当学芸員の対応についても、来館者からの御疑問や御意見等については、じっくりと傾聴した上で、主張すべき点は論拠資料や典拠文献を示して適切に主張し、修正すべき点は素直に修正するという姿勢が欠けており、展示担当者として、明確な説明ができないまま、7月末まで時間を費やしてしまっています。
展示については、御指摘のとおり、パネルやキャプションに「昌黌校」「敵塾」「勤皇の志」などの誤字・脱字が多く、内容についても「林家の養子となった玄仲は(中略)敵塾では初代塾頭をつとめた」など、引用誤りが非常に多く、特に固有名詞の誤りは専門家としては絶対してはならないことであり、学芸員として猛省し、他の学芸員の意見にも耳を傾けながら研鑽に励む必要があります。
企画内容については、3月に前館長と学芸課長が事前にチェックしたとのことですが、展示準備が年度末・新年度と重なったとはいえ、展示前に現館長、学芸課長が管理職として再チェックを行わなかったことや、従来から、テーマ展は、学芸員の調査研究の成果を県民へ紹介するところに力点がおかれていたため、基本的に一人の学芸員に企画・準備・設営のすべてを行わせていたことが問題だったと考えております。
また、展示の誤りを指摘された際には、現物の誤字・脱字は修正したものの、ホームページをはじめ、企画全体を見渡し修正するという感覚が欠如し、加えて、「林家の養子となった玄仲は(中略)敵塾では初代塾頭をつとめた」と記したキャプションについては、誤りを指摘された後、典拠資料の確認のため撤去し、後に「敵塾では初代塾頭をつとめた」との表記が誤引用と判明したため、適切な御説明をしないまま、キャプションをテーマ展開催中は撤去することとしたことも不適切な対応と言えます。誤りを素直に修正し展示すべきでした。さらに、来館者から重大な指摘があるにもかかわらず、学芸課長は館長に対し十分な報告・説明をしておらず、組織的な対応ができていませんでした。
教育委員会としては、上記の不誠実な対応については、指導部局として深く反省しており、特に御指摘のとおり、歴史文化博物館は「地域の歴史資料の展示は、優れた学芸員の努力によって、現代的意義を再発見され、次代の子供たちに歴史の大切さと故郷への関心を高める役割を果たす」ものであり、教育長からは館長に対して、全職員が今回の問題の重大性を認識し、来客者への対応はもとより、常設展示やテーマ展の充実、学芸組織の改善、研究紀要の見直し等について、真摯に取り組むよう、厳重に注意したところです。
館長からは、直接教育長に対し、今回の不誠実な対応については、歴博の総括者として、全ては自分の責任であり、深く反省していること、及び今回いただいた御提言等は、県立の歴史系博物館の存在意義や信頼感を揺るがしかねない問題と捉え、学芸員に対し、博物館活動の柱である調査研究、資料の収集・整理・保存・活用・展示といった各事業の重要性を各自が自覚し直すよう、館長として強く促していく旨の報告を受けております。
繰り返しにはなりますが、教育委員会としましては、「教育委員会の指導監督や協議会が形骸化していないことを見せてください」との御提言を重く受け止め、歴博の全職員が共通認識のもと研鑽に励むとともに、今後の館の運営につきましては、博物館協議会や学識経験者等の御意見もいただきながら十分に検討し、改善に努めて参りたいと考えております。