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2001年10月号 掲載 
忌野清志郎「TEAM LSD」 佐田岬半島を通過
 
 自転車雑誌『サイクルスポーツ』の編集長をしている友人の宮内忍が電話をくれた。「先日、幼稚園と小学校、中学校、そして書道塾の同級生だったロック・シンガーの忌野清志郎と二十年ぶりに再会した。その清志郎が自転車に夢中でバンドの仲間と「LSD(LONG SLOW DISTANCE)」という名のチームをつくった。十日間で千五百キロ東京から鹿児島まで走る。途中、尾道からわしも一緒に走る。しまなみで海を越えて佐田岬まで愛媛を通るぞ」とのこと。
 清志郎さんはたまたま、雪崩にあって埋まった五十歳の息子を八十歳の父親がスコップで掘り続け、七時間かけて雪の中から助け出したというニュースを聞いて、いったい自分は八十歳の時に我が子を助ける体力があるだろうかと心打たれた。それで自転車で人間本来の体力を目覚めさせることを思いつき、今回の壮挙となった。
 宮内忍は学生時代からの自転車乗り、その上、「サイスポ」の編集長だったため、公私が微妙に交錯して、清志郎さんのチームLSDの旅に同行取材することになったのだ。私もまた、公私が微妙に交錯し、道後から三崎までの間を、車で伴走させてもらうことになった。  二十二日九時十五分道後発。市内を抜けて国道五六号を通り、伊予市から三八七号へ。快晴で強い追い風。約四十分で双海シーサイドパークに到着。小憩ののち、十時二十分過ぎに、吹き続ける追い風を受けてさらに快走。私はすこし車を飛ばして先行、長浜手前の喫茶店ラ・メールのテラスで一行を待った。ところが、いくら待ってもやってこない。不安になって双海に向かってもどっていたら、十一時四〇分に友人から携帯電話。もうトンネルを抜けて保内の国道一九七号線分岐に着いているという。あせった。一行は私がトイレで踏ん張っている僅かのスキをついて風のように通り過ぎてしまったのだった。なんと時速四十キロのハイペース。保内町の昼食場所レストランパルでやっと追いつく。
 十三時二十分パルを出発し佐田岬串漁港を目指して、メロディラインの長いアップダウンの道をひたすら走る。瀬戸農業公園で小休止し、記念撮影。(写真下)ところが、大久の展望台を過ぎた辺りで、民宿大岩さんから強風のために手配していた渡船が出せないとの電話が入った。残念だが急遽、手前の三崎港から国道フェリーで海を渡ることになる。フェリーに乗り込む一行と三崎港で慌ただしい別れとなった。
 忌野清志郎とチームLSDの人たち、スタッフの人たちはみんな、さわやかでホントにかっこよかった。半端じゃない。言葉を交わしたのはホンの僅かの時間だったが、元気が出る楽しい時間をもらった。なんだか感激して家に帰り、梶谷さんが借してくれたCDをかけてみた。しみじみとラフでタフな「君が代」を謹聴した。その後の一行は、九州に上陸、なおも快調に走り続け、予定通り鹿児島の妙見温泉に無事ゴールした。おめでとう。また愛媛にも来て下さい。
 
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